その後、祖母や叔母の家に身を寄せるも、中学2年のとき教師を殴り学校を中退。ほどなく半島から戻った父親と再び対馬で暮らし始めたが、結局1929年(昭和4年)、15歳のときに家を出て福岡の博多駅周辺で不良仲間とつるむようになる。
最初の殺人
1930年、広島県で窃盗事件を起こし岩国の少年刑務所に服役。以降、窃盗や詐欺、恐喝未遂などで塀の内外を行き来する日々を送り、1945年8月の終戦時も窃盗で懲役6年の刑を受け福岡の若松刑務所に収監されていた。福岡市内で知り合った坂本登という19歳の男と共謀し、小銭目当てに同市内の40歳の浮浪者男性を殺害するのは、出所まもない1951年5月。翌6月には福岡県八幡市(現・北九州市八幡西区)の民家に強盗に入り70歳の男性を亡き者にした。
7月に逮捕された坂本が普段「ソウさん」と呼んでいた男が首謀者で自分は見張りをしていただけであると主張したが、ソウさんこと古谷は逃亡中の身。裁判では坂本に死刑判決が下り、1953年に福岡拘置所で絞首刑が執行される。同年末、古谷も逮捕されたものの、取り調べで坂本にそそのかされ自分は見張りをしていただけに過ぎないと供述。
1956年3月の判決公判で懲役10年の刑を受け、福岡刑務所に収監後、熊本刑務所に移監される。刑期を1年残し仮出所したのが1964年11月でこのとき古谷は50歳。16歳の初逮捕以後の34年間のうち27年間を塀の中で過ごしていた。
大量殺人の幕が開くのは1965年10月30日だった。
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その後、男は腐乱した遺体をきっかけに逮捕される。前科8犯の彼にくだされた罰とは……。
