選挙でも寝なかった
高市は「平成維新隊さなえ組」と呼ばれる組織を支持母体に選挙に臨んだという。当時の報道によれば、高市事務所の広報担当者の話として、「さなえ組」は学生や主婦などのボランティアで構成される集まりで、多い時で300人から400人が事務所に出入りしていると伝えられる。出馬にあたっての高市のリーフレットにも、〈奈良から日本に吹かせたい 平成維新の風!〉と記されていた。
89年に出版されてベストセラーになった大前研一の『平成維新』(講談社)を意識しているのだろう。政府と霞が関を解体して真に国民のための政府を作り出すことを提唱したこの本は、当時の政治改革ブームもあって広く読まれた。新顔の高市にとって最大の武器だった刷新感とも重なる。
“勝手連”的に集まった市民たちから支持を集める、「平成維新」を目指す若き女性候補。「米国では納税者からの意見書が毎日、議員事務所に届く」として、納税者の声に耳を傾ける政治家になり、政治を正すと訴えた。米国風にプラカードを持って歩いたこともあった。
当時の高市の選挙への向き合い方は現在の姿にも重なる。粒谷は言う。
「あの子は人任せにせん。全部自分でやらな気がすまんタイプ。選挙でも寝ないんよ。新聞社のアンケートも政策の文章も、人に任せず自分で書いていた」
乾充徳(初出馬時から高市を支持する大和郡山市議)も、高市が「2日寝てない」と言うのを聞いたことがあるという。
夜はアンケートや政策を書き、日中はとにかく走り回った。団地の住民が窓から顔を出すと、「ありがとうございます」と一人一人に頭を下げる。支援者から「あそこへ行って」と言われた場所に、高市はすぐに駆け付けた。こうした選挙のやり方を、高市は現場で覚えていった。
※この続きでは、その後の「サナエ劇場」の顛末を辿っています。約1万2000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年8月号に掲載されています(甚野博則+本誌取材班「裏切りと涙のサナエ劇場 奈良『鉄の女』の原点」)。

