「安倍の次は安倍」の自民党で石破はどうなるのか
総裁選は党の次の顔をアピールする「顔見世」興行でもあるが、今回は候補者ふたりと寂しく、恒例の東京での街頭合同演説も開かれなかった。
安倍陣営にとっては、総裁選は盛り上がらないに越したことがない。「安倍の次は安倍」(二階俊博)とまで言われたが、安倍総裁の時代もこの3期目で終わりとなる。そこで「死に体」にならないためには、突出した次期総裁候補がいては困るのである。次を狙う者は、最大派閥の実力者である安倍と良好な関係でいようとするだろうし、あわよくば禅譲を期待する。まして、「反安倍」を標榜する者に力を持たれては……である。
そうした総裁選の唯一の反逆者・石破はこの先、どうなるのか。
総裁選に限らず、政争に敗れた者は勝者とその陣営に足蹴にされる。選挙と人事は背中合わせであり、信賞必罰が人事の鉄則である。ときに、「総裁選後はノーサイドで」などと期待する者がいるが、そんな甘い期待に冷水が浴びせられるのが政治の歴史だろう。
「平成おじさん」に負けた梶山静六の冷遇
「平成おじさん」で記憶される向きのある小渕恵三は、「人柄の小渕」といわれた。敵を作らないことを信条にして頂点まで昇りつめた竹下登に師事しただけの人柄である。この小渕も、ひとたび政敵となった者には容赦がなかった。
たとえば98年の総裁選で争った梶山静六を徹底的に冷遇する。田中・竹下派の同志として数々の修羅場をともに戦った間柄であろうとも、だ。佐野眞一『凡宰伝』によると、選挙後は一度電話をしただけであったという。それも「梶さん、中坊(公平)さんと親しいらしいから、今度、一緒にメシでも食おう」と。なんだメシを食う仲ではないかと思うところだが、小渕の真意は「お前に用はない、中坊さんを紹介してくれ」である。
また現職総理として迎えた99年の総裁選では、小渕の無投票当選を阻もうと立候補してきた加藤紘一を徹底的に干して、冷や飯を食わせる。こうして非主流に堕ちた加藤は、森内閣の不人気に乗じて野党と手を組む「加藤の乱」を目論むが、これもまた……。