タランティーノが前世代と異なっていたもうひとつのポイントは、その引用癖である。

 ヌーベルバーグも「映画小僧」も自分たちが尊敬する先達の映画に学び、それを積極的に引用した。ゴダールがフリッツ・ラングやサミュエル・フラーを俳優として「引用」し、あるいはデ・パルマがヒッチコックの作曲家バーナード・ハーマンを起用してみせたように。だが、タランティーノの「引用」は一味違った。タランティーノはバーナード・ハーマンが他の映画のために作った音楽をそのまま使用したのだ(『キル・ビル Vol.1』での『密室の恐怖実験』)。タランティーノは自分の好きな俳優が過去作で演じた役のイメージを、積極的に自分の映画に持ち込ませようとした。自分の映画を勝手に他人の映画の続編にしてしまうのである。たとえば笠智衆のような――特定の監督との結びつきがあまりに強く、イメージが固定化されてしまった――俳優ならまだわからないでもないが、タランティーノは個人的な思い入れだけで役を引用する。『キル・ビル Vol.1』でルーシー・リューに梶芽衣子コスプレをさせるのにも仰天したが、『ジャッキー・ブラウン』では『アリゲーター』のロバート・フォースターを「引用」する。文脈をあえて踏み越え、すべてを等価にして見せる。これこそビデオ時代の引用術なのである。

 タランティーノの映画美学を作ったもの、その片輪がビデオ時代の映画鑑賞だとすれば、もう一方の車輪はそれ以前の思春期の映画鑑賞だろう。タランティーノは幼いころから黒人街の映画館に通い、ブラックスプロイテーション映画を見て育ったと公言している(それが彼のNワード使用の免罪符であり、またスパイク・リーとの長きにわたる確執の原因でもある)。タランティーノの映画的教養の大きな部分は、そうしたグラインドハウスで見たきわもの(エクスプロイテーション)映画からできている。

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Photograph by Julian Ungano

 映画マニアが百人いれば、百通りの映画体験があり、それをつなぎ合わせたものが彼自身の映画史となる。タランティーノは70年代アクションとグラインドハウス映画からなるひとつの映画史を作りあげた。そこにはタランティーノ自身の血肉となった映画が詰まっている。

 映画監督が映画を語ると、往々にして、その評は映画そのものよりも、語っている映画監督について多くを明かすことになってしまう。タランティーノもその例外ではない。アクション映画の好悪を語り、欠陥を指摘し名シーンを褒めそやすとき、タランティーノは自分にとっての理想の映画を語っているのである。タランティーノの夢見る映画の歴史、それはもちろん現実の歴史とは違っているし、あるいは平仄が合わない部分さえあるかもしれない。だが、それこそがタランティーノの「引用」を呼び起こし、時間感覚を作りあげたものなのだ。

 タランティーノの映画史において、大きく重要な場所を占めているのがグラインドハウスのきわもの映画である。きわもの映画と言われるような作品には、もとよりマニアはおれど研究家はおらず、ましてや通史などあるはずもない。では、その歴史とはなんなのか。タランティーノがつむぐのは観客としての歴史だ。何をどの映画館で見たのかという記憶は、映画そのものの記憶と混ざりあい、唯一無二の映画体験となる。黒人しかいない劇場内で、たった一人の白人の子供として、ジム・ブラウンの新作映画の封切りに放りこまれた体験。「当時……おれが味わったもっとも男性的な経験だったろう」と語る衝撃こそがタランティーノの映画なのである。

クエンティン・タランティーノ Quentin Tarantino
1963年テネシー州ノックスビル生まれ。1992年、『レザボア・ドッグス』で映画監督デビュー。1994年、『パルプ・フィクション』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞、米アカデミー賞脚本賞を受賞。2012年、『ジャンゴ 繋がれざる者』で再び米アカデミー賞脚本賞を受賞。

やなした・きいちろう 1963年、大阪府生まれ。映画評論家、特殊翻訳家。雑誌編集者を経てフリーランスに。『興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史』のほか映画や殺人に関する著作は多数。また、共著、翻訳本も数多く手掛ける。

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