『積ん読の本』(石井千湖 著)主婦と生活社

 仕事の資料として本をつねにそばに置いている12人の仕事場を訪ねた本である。小説家、研究者、翻訳家、ゲーム作家、辞書編纂者等々。訪ねていった著者も本の紹介が仕事の書評家である。

 仕事場にある本の量がとうぜん尋常ではない。そこいらじゅうに本が積みあがっている。読書のしかたのひとつに「積ん読」というのがあって、「三省堂国語辞典第八版」(編集委員の飯間浩明も12人のひとり)の語釈によれば、「書物を積んでおくばかりで読まないこと」で、ある意味、なかなかに優雅な本とのつきあいかただ。いつか読もう、きっと読もう、と思いながら積みあがった本を眺めているのはけっこう楽しい時間なのだから。「職業はドイツ人」という不思議な肩書きをもつマライ・メントラインの話では、ドイツには「積ん読」にちょっと似た〈インテリの壁〉という言い方があるという。引っ越しなどすると、友人たちを呼んで新居を披露するということをやるひとたちがいて、そんなとき、壁一面に本を並べて見せびらかす。「読んでいるかどうかは問題ではなくて、本をたくさん置いて、インテリっぽく見られたいみたいな風潮はあります」

 しかし、本書の12人は全員そんな域をとっくに超えている。世の中の言葉を収集して辞書をつくるのが仕事の飯間は、つぎつぎと本をバラバラにしてスキャンしてコンピュータに取り込んでいるし、翻訳家の柳下毅一郎は、「資料になる可能性がある本は、あまり積ん読とは思わない」と「読んだ本」と「読んでない本」の境界は微妙だ、と語る。

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 年に2000冊から2500冊ほど本を買うゲーム作家で研究者の山本貴光の本棚は壮観だが、「何より背表紙があることは大事です」と断言する。「物理空間ってすごいんですよね。自分の生活空間に本棚があれば、ほぼ毎日目にするから、どこに何があるか頭に入っている。努力しなくても記憶できるわけです」きっと、本のほうも、毎日見られているうちに恥ずかしくなって、背表紙を通して、冷や汗を流すように中身を少しずつさらけだしているにちがいない。

 もちろん本は最後まで読んでもいい。しかし、最後まで読んだからといって読んだことにはならない。なにしろ、詩人で研究者の管啓次郎に言わせれば、「本は常に進行中・生成中のヴァージョンだから、表紙から裏表紙まで読んでも読み終わることはない。何が書いてあったかを忘れてしまうのもあたりまえです」。

 積ん読って「自分専用の図書館を作ってる」と思いたい、と言う小説家の柴崎友香は、「長年持ち続けているという意味で古いのは、全文書き写したこともある夏目漱石の『草枕』かもしれません」と話す。

 こうなるともう、資料は「飼料」と化している。

いしいちこ/書評家。大学卒業後に書店員となり、2004年より文芸を専門とするライターとして活動を開始。著書に『文豪たちの友情』『名著のツボ 賢人たちが推す!最強ブックガイド』。
 

あおやまみなみ/1949年福島県生まれ。翻訳家、エッセイスト。著書に『60歳からの外国語修行』『本は眺めたり触ったりが楽しい』。