『名著のツボ 賢人たちが推す!最強ブックガイド』(石井千湖 著)文藝春秋

 この稿もそうだが、基本的に新聞・雑誌の書評は、新刊書を取り上げる。1日平均200近い数の新刊が登場するのだから、何らかの案内が無いと、膨大な数の新刊は我々の眼に止まらず流れ去ってしまうからだ。

 しかし書物は新しいものばかりではない。人類が文字を生み出して数千年。無論、失われたものの方がはるかに多いはずであるが、それでも、いくつかの書物は何世代にも渡って継承され、我々の手元にも届いている。古いもので言えば、紀元前8世紀に成立した、現存する最も古い創作物語である詩人の父ホメロスの『イリアス』。あるいはユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとっての聖典の一部を構成し、資料的には前2000年紀からのものを含んだ『旧約聖書』。

 これらは、世にいう古典、名著と呼ばれる、時代も文化も越えて読みつがれてきた書物たちだ。

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 口さがない人たちは、古典とは、誰もがその存在を知っているが実際には誰も読んでいない書物のことだ、と言う。また、名著案内なるものは、自分の代わりに名著を読んでもらう代替行為であって、多くはそれだけで満足し、名著そのものを手に取ることはほとんどないのだ、と言う。

 しかし、こういう拗らせた教養主義の怨霊のような物言いには、次のように反論できよう。古典・名著はそもそも1人で読むようにはできていないのだ、と。

 いわゆる古典が読みづらいのは、あなたのために書かれたものではないからだ。

 プラトンはあなたのことを知らない。デカルトはあなたを読者として想定していない。彼らの書いたものは、あなたの知らないことを前提とし、あなたが共有しない課題や時代状況に基づいている。つまり古典を読むこととは、あなた宛でない手紙を盗み見るようなものなのだ。だからこそ案内人がいればありがたい。

『週刊文春』の人気連載「名著のツボ」を書籍化した本書は、著者が我々読者になり代わり、それぞれの書物にふさわしい案内人を招き、その勘所(ツボ)について教えを請う。いくつか例を挙げれば、納富信留に『ソクラテスの弁明』や『パイドン』を、沖田瑞穂に『マハーバーラタ』を、奥泉光に『吾輩は猫である』を、有栖川有栖に乱歩の『人間椅子』を案内してもらえるのだ。

 古典と自分1人で向かい合うといった教養主義的な仕草は放棄しよう。元々、古典とは、単に古い書物を言うのでも、時代を越えた真理を蔵する書物を言うのでもない。古典とは、多くの注釈が書かれてきた書物、言い換えれば、多くの人が読むだけでなく、何事かを言いたくなり書き残したくなった、書物のことを言う。そうした先人の読んだ蓄積こそが、我々の元に古き書物を届けてくれる。良き導き手と共に読むことこそ、名著を味わう正攻法であり醍醐味である。

いしいちこ/1973年佐賀県生まれ。書評家、ライター。早稲田大学卒業後、書店員を経て、現在は書評とインタビューを中心に活動し、多くの雑誌や新聞に執筆。著書に『文豪たちの友情』、共著に『世界の8大文学賞』など。
 

どくしょざる/2008年ブログ開設。あらゆる知を分類し独自の視点で紹介。著書に『独学大全』『アイデア大全』など。

名著のツボ 賢人たちが推す!最強ブックガイド

石井 千湖

文藝春秋

2021年8月27日 発売