『往復書簡 限界から始まる』(上野千鶴子、鈴木涼美 著)幻冬舎

 現代の性産業は男性が一方的な幻想で仕立てあげた表象により駆動されているので、どんな形であれ、その産業を称揚すれば、偏った性表象に憧れを抱く少女を再生産すると危惧していた。だから鈴木涼美さんのことは、そのパンクな経歴に興味はあったが深く知ることを避けてしまっていた。けれど本書は、そんな人にこそ読んでもらいたいと心から思った本だ。上野千鶴子さんとの往復書簡である本書で、素直に語られる鈴木の葛藤にこそ、今の日本で考えるべき「性」や女性の立場が見渡せるのだ。

 最初の手紙から、鈴木の愚直な心情が吐露される。最近になって自分の態度に「疑問」を抱き、「自分の思いを点検したい」と思っていた。彼女はAVの世界に対して当事者として、「被害報告ではない形で搾取の構造と男女の共犯関係を(略)描きだせないか」と考えていたという。そこにいくら男性への絶望に満ちた嘲笑と、シニカルで批評的な満足があったとしても、それは援助交際を肯定した時代のあだ花でもあると、私の気持ちは暗くなった。

 彼女は最近、自分より下の世代の女性たちが性被害に対してはっきり物申す姿勢に触れ、「私は大きく間違っていたのかもしれ」ないと気づいた。上野はこれに至極、精確な分析で応える。

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「被害者になりたくない」想いの中には鈴木に眠るエリート意識があり、その態度は男性の罪を免責し、利用される。鋭い指摘に、徐々に鈴木の真意が溢れ出す。

 児童文学者だった今は亡き母の知的鉄壁さに、全て言葉で返さなくてはいけない窮屈さが鈴木にはあった。母自身、いわゆる水商売の家に生まれ、それを嫌悪していたにも関わらず、男性からの視線を常に意識していた。母の矛盾を突く娘は、母から最も遠く理解の及ばない場所へ行きたいと願った。彼女の決断には、母子関係が生む、やむにやまれぬ想いが潜んでいた。

 この思いが吐露されてから上野は優しく、まるで彼女の社会的な親としてどうか伝わってほしいと祈るように、手紙を綴る。上野自らの性愛論が白眉だ。性愛を「他人のなかで『小さな死』を迎えること」と表現する。必ず生還する安心感を他人に委ねてこそ、その快楽が成り立つのだと。その奥深さに唸ると共に、商品や資源として消費されるだけでない、性愛の真実の姿を伝えたい一心で、それが語られたことに深く胸を打たれた。

 今のこの国のいびつな性のあり方。男女とも、性産業が作り出す表象を刷り込まれ、本来人が持ち得る性の深い聖性、形を成さない曖昧な願望、感情の揺れにより繊細に動く快感……性の深淵を失っていないか。それは女性だけでなく、男性も不幸にする。上野が全身全霊で鈴木に伝えたことは、今の私たち皆に当てはまることだ。読者の人生をも揺さぶる稀有な書だった。

うえのちづこ/1948年富山県生まれ。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。

すずきすずみ/1983年東京都生まれ。社会学者・文筆家。在学中にAV女優などを経験したのち、日本経済新聞に5年半勤務。
 

なかむらゆうこ/1977年生まれ。映像作家。映像作品に『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』など。著書に『マザリング』。

往復書簡 限界から始まる

上野 千鶴子 ,鈴木 涼美

幻冬舎

2021年7月7日 発売