人は本質的に善良だから、性善説に基づいた社会設計をすべきと主張すれば「お花畑」と冷笑される。しかしオランダの独立系メディアで取材を続ける著者は、詳細な論証を試み「現実的になれ!」(本当に善良なのだから、冷笑せず認めよ)と結論する。
人の本性を知りたいなら、まず子どもを見るべきだという考えがある。社会的な成熟に至らない年齢の子らを監督なしに放置すれば何が起きるか。無人島に漂着したニュージーランド(NZ)の子らが、団結し互いに思いやりながら生き延びる『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ)は日本でよく知られるが、欧米では同じような環境下で子どもらが社会規範を失い殺人に至る『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング)の方が圧倒的に読まれているようだ(本書に『十五少年』への言及はない)。著者は実際に『蠅の王』のようなことが起こりうるのかと問い、20世紀、トンガからNZへの航海中に遭難した少年たちが無人島で過ごした事件を掘り起す。そして、少年たちの遭難生活が友愛に満ちたものだったと快哉を叫ぶ。現実は『十五少年』側だったのである。
子どもではなく大人はどうか。こちらも教科書で定番の「スタンフォード監獄実験」など有名な心理学実験が捏造に近いことが分かり、性悪説の科学的根拠が揺らいでいるという。
しかし、ではなぜ数々の戦争やジェノサイドやテロが起きてきたのだろう。簡単に「闇落ち」する善良さなら役立たずではないか。
理由の1つとして著者はなんと、少年たちが無人島で団結した理由でもある「共感」を挙げた。それは人らしさの重要な部分だが、深刻なバグがある。スポットライトのように限られた部分にしか及ばず、心的リソースを消費し、他のものを排除するからだ。例えば、「犠牲者」に共感するほど「敵」を許しがたく感じるだろう。友情は戦争に勝つための武器となり、テロリストは1人ではなく友だちや恋人と共に過激化する。そして「指導者」はそれを利用する。
だから「共感ではなく思いやりを」ということになるのだが、評者はまたもNZを想起した。新型コロナをほぼ完封してきたこの国で、初期の都市封鎖の際、首相が国民に語りかけた指針は「親切であれ」(be kind)だった。人々の分断が進む時に発せられたその言葉がなぜ適切に聞こえたのか腑に落ちた気がした。
本書では人の本性とそれに基づいた社会設計という巨大な問題を扱い常識を覆す主張も多い。諸分野の専門家に吟味されるべきだろうが、示唆に富むことは間違いない。評者が個人的に親しい(住んだことがある)NZを思い出す局面が多かったのも、大いに刺激された結果だ。変な読み方だとは自覚しつつ「十五少年」と「親切に」が勝手なキーワードとして頭から消えない。
Rutger Bregman/1988年、オランダ生まれ。歴史家、ジャーナリスト。ユトレヒト大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で歴史学を専攻。著書に『隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働』がある。
かわばたひろと/1964年、兵庫県生まれ、千葉県育ち。小説家。近著に『空よりも遠く、のびやかに』『「色のふしぎ」と不思議な社会』。