元寇という国難を描いた長編歴史小説『海を破る者』(文春文庫)には、河野通有と同じ一族に生まれながら、武士とはまったく違う道を選んだ一遍上人も登場する。なぜ直木賞作家・今村翔吾氏は、この物語にもう一人の視点を必要としたのか。そして、人間は「共通の敵」なしに団結できるのか(全3回の最終回)。
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一遍上人は『坂の上の雲』における正岡子規
――『海を破る者』には、踊り念仏で知られる一遍上人も登場します。
今村 彼も河野一族なんですよね。
一遍上人は、仏教史ではものすごく有名です。でも、ちょっと言い方はあれですけど、地味なんよね。
――地味なんですか。
今村 ほかの鎌倉新仏教を立ち上げた人たちと比べると、ですよ。例えば親鸞とか日蓮と比べると、若干地味な扱いをされがちなんです。
愛媛の人でも、「この小説で一遍上人と河野一族の関係を知った」という人が結構いたんですよ。
僕も、言われてみれば確かに河野氏やなと思ったんですけど、河野通有と一遍が同時代の人物だということが、頭の中でつながっていなかった。
調べている中で一遍上人が出てきて、「この人が必要や」と思いました。
――なぜ必要だったのでしょう。
今村 この物語は、主人公と脇役だけではなくて、もう一人必要やと思ったんですよね。
それは、『坂の上の雲』における正岡子規のポジションです。
――秋山兄弟とは別の場所から、同じ時代を見ている。
今村 そうそう。
正岡子規がいることによって、物語全体を俯瞰した見方ができる。国や時代の描き方にも、より深みが出る。
『海を破る者』にも、そういう人物が必要だと思いました。
――一遍は、河野通有の相談相手にもなっています。
今村 壁打ち相手みたいなものですね。
二人とも、人間の世の中を少しでも良くしたいと思っている。志はたぶん一緒なんです。
でも、六郎は武士として戦う。一遍は、まったく違う道を歩いている。
同じことを思いながら、別々の道を進んでいく一族の話でもあるんかなと思います。
京都と大阪は争う。でも「関西人は」と言われたら協力する
――この本を読むと、「なぜ人と人は争うのだろう」と考えざるを得ませんでした。
今村 現実を見ると、「人を信じよう」と簡単には言えない状況も、もちろんあります。
でも、僕ら物語を書く人間は、やっぱり綺麗事を書き続けないといけないんやと思うんです。
綺麗事やと言われるかもしれない。でも、その1%を失ってはいけない。
――今は格差や分断が大きな問題になっています。最初から人を信じないことを前提にすると、分断は広がるばかりではないでしょうか。

