「週刊文春」の人気連載「宇垣総裁のマンガ党宣言!」。フリーアナウンサーの宇垣美里さんが傑作マンガの数々を熱量たっぷりに評する本連載。宇垣さんが「どうか皆が救われる結末でありますように、と祈ってしまう」というほどドハマリした作品についての回を特別に無料公開します。

1970年代、ある漫画家の“愚行”とは

 マンガに助けられて生きてきた。どんなに辛い時だって、あのキャラクターならこうするだろうと思って踏ん張ることができた。自分は独りぼっちじゃないと、世の中捨てたもんじゃないと、信じることができた。『来見沢善彦の愚行』には、そんなマンガに救われてきた者の矜持みたいなものがそこここにちりばめられている。たとえ、とある漫画家の狂気と罪が出発点にあったとしても。

 かつてヒット作を生み人気漫画家の仲間入りを果たした来見沢善彦だったが、なかなか企画が連載会議を通らず、6年も新作をだせず焦っていた。ある日橋の上からマンガの原稿を投げ捨てる青年・畑賢作と出会い、その卓越した才能と自身と似すぎている画風に目をつけ、来見沢の自宅でマンガを描いてみないか?と持ち掛ける。その真意は畑を囲い込み、彼の描く「BALALバラル」を来見沢の作品として雑誌で連載させることであった。

『来見沢善彦の愚行 1』(集英社) 

 まだ若く文字も読めぬ己のファンを騙し、ゴーストライターにするだなんて、来見沢のやっていることはまさしく愚行。契約書に畑のサインを得た時の表情の凄みといったら。にも拘わらず、病床の幼馴染・美津子を思ってであろう動機や、騙しているはずの畑に対する過剰なまでの思いやり、全ての行動から見えてくる人柄の善性から、どうしたって彼を嫌いになることなんてできない。彼のしでかしていることはずっとあくまで批判されるべき愚行として描かれており、そのバランスもあいまって、余計に来見沢に肩入れして読んでしまっていた。

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 対する畑も、当初は田舎から上京してきた不遇ながらも純粋で真っ直ぐに育った青年のように見えていたのに、物語が進むにつれ圧倒的な能力やその狂気が見え隠れするように。どうやら思った通りの好青年というわけでもないようで……。2人の生活が思いやりに満ちており一見幸せそのものだからこそ切なく、余計に緊張感が増す。練りに練られたサスペンスはまったく先が読めず、急展開に翻弄されっぱなし。

続きが気になりすぎて、苦しい

 途中の描写から脳内のイメージだったと分かる来見沢が黒電話で会話している相手とは何なのか、裏庭に隠されていたアレは誰のものなのか。まさしく来見沢が「BALAL」を評した通り「生き生きとしたキャラ」が魅力的で「根底には普遍的な人間愛が溢れて」おり、「読者の期待通りにストーリーを進行させておいて終盤でスパッ!! 気持ちよく裏切る」作品となっている。

 巻頭に記された手塚プロダクションへの謝意やアナログな作画と散見されるギャグタッチのオマージュから手塚治虫への強いリスペクトを感じる。また、取材元として表記された長崎大学原爆後障害医療研究所の名前から、美津子の体調不良の原因はどこにあったのかが察せられ、はっとした。畑の父親の様子や来見沢の食事へのこだわり、貸本屋の様子などディテールの細かい70年代の空気感の中には隠し切れない戦争の影響がみられる。

 物語はついに佳境を迎え、愚行の答え合わせへと向かっている。果たして来見沢の画策した幕引きとはどこにあるのか、物語はどこに着地するのか。どうか皆が救われる結末でありますように、と祈ってしまうのは、やっぱり全ての登場人物が好きになってしまっているから。ページをめくるごとに反転する善悪に引き込まれ、連載しているアプリに手を伸ばしてしまった。続きが気になりすぎて、苦しい。

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《「週刊文春」で連載中の「宇垣総裁のマンガ党宣言!」は、「週刊文春」誌面の他、「週刊文春 電子版」で過去回も読むことができる》

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