「週刊文春」の人気連載「宇垣総裁のマンガ党宣言!」。フリーアナウンサーの宇垣美里さんが傑作マンガの数々を熱量たっぷりに評する本連載。宇垣さんが自分自身の幼少期の記憶や実体験と重ねながら、熱い賛辞を送った回を特別に無料公開します。
紙袋をかぶった不思議な友達との絆
私の一番古い記憶は、祖母の家でのワンシーンだ。古い日本家屋の急な階段を上っている最中に足を滑らせてしまい、背中から下に落ちている最中、先に階段を上り切った妹が目を真ん丸にして私を見つめていて、そのぽかんとしたアホ面がやけに印象的でいまだに覚えている。痛かったであろうその着地も、親からの叱責も、そのほかのことは何も覚えていないというのに。私の人生にはずっと妹がいた。『かみちゃんがいればマル』の涼子の一番古い記憶にかみちゃんがいたように。
幼稚園児の涼子は、母親が切迫早産で入院している間、しばしばお隣の上谷地家に預けられるようになった。そこには常に紙袋をかぶっている不思議な“かみちゃん”という子どもがおり、2人はすぐに仲良くなる。母の帰りを心待ちにしていた涼子だったが、退院し弟と共に帰宅した母は、以前の優しい母親とは別人のようになっていた。弟ばかりを優先し、涼子につらく当たる母との生活の中、かみちゃんの存在が涼子の支えであったが、とあるアクシデントをきっかけにかみちゃんは人間ではなく、伸びる触手を持つ異形の存在であることが明らかになる。
不穏とほっこりのバランスが絶妙だ
幼児と人ならざるものとの交流を描いた物語と思いきや、早い段階で母親を失った2人の特別な絆と共にどのように両者が成長していくかがメインのテーマであることが分かる。虐待や新興宗教など取り上げられるものはシリアスで、母親と上手くいかなかったことに涼子が囚われ、その経験が何度となく彼女の心のブレーキになってしまう様子はあまりに理不尽で切なくて、ぐっと胸がしめつけられる。その一方で、ちりばめられたユーモアや明るさ、何よりも支え合いながらも前向きに生きていく2人のかわいらしさが眩しく、全編に希望を感じさせる。ファンタジーと現実、冷たさと温かさ、不穏とほっこりのバランスが絶妙だ。
物語の中で涼子は幼稚園児から高校生まで成長していくのだが、その年齢ごとの成長具合がとてもリアル。かつての自分や身の回りの子どもたちを彷彿とさせ、丁寧かつ抑制された心理描写にどっぷり感情移入してしまった。
理想とは程遠い子どもとの生活に困惑しながらも、涼子に愛情を注ぎ適度な距離感を保つ祖母など、その他の登場人物もお決まりではなく人格を持つ生きた人間として描かれていて、特にそれを感じられるのが涼子の母親だ。涼子からみた母親の様子はまるでモンスターでホラーじみているものの、彼女をただの邪悪な存在ではなく、擁護はできないまでも葛藤を抱えた人間として描いているところに作者の誠実さを感じた。
最新刊では涼子とかみちゃんに、互いに唯一無二の友でありながらも、別の生き物であるからこその必然的な別れが訪れる。再び対等な友達として会うための決意がとても美しく、たくましく、若い命の持つ力強さに胸がいっぱいになった。
変わらずそこにいてくれる人さえいれば、人は強くなれる。私にとっての妹のように、涼子にとってはかみちゃんで、かみちゃんにとっては涼子だった。第1話冒頭のモノローグはおそらく成長した涼子によるものだろう。多くの選択と努力の果てにあるであろう2人の再会が待ち遠しい。その時はきっと2人も読者も、満面の笑みに違いない。
《「週刊文春」で連載中の「宇垣総裁のマンガ党宣言!」は、「週刊文春」誌面の他、「週刊文春 電子版」で過去回も読むことができる》
