本来、自分が創作したもので人の心を動かすって、すごく難しいことのはずで。自分で曲作って、歌詞を書いて、歌って、みんなが泣くみたいなことって、Mrs. GREEN APPLEぐらいにならないと無理じゃないですか。もちろん規模やジャンルは全然違うけど、料理は最短距離でそういう疑似体験をさせてくれる! という希望の光があって。誰にも必要とされていないんだと思い込んでいた私にとって、それは大きな救いとなりました。
料理をしている間は強制的に悩みを忘れられる
――それから、料理にのめり込むように?
長谷川 料理そのものというよりも、料理家さんとかレシピとか、あるいは飲食店のメニューとか、「どんな味がするんだろう」と考える時間そのものにのめりこんでいったという方が近いです。だから、ずっと雑誌で見ていた、むしろ雑誌でしか見たことのない「ビストロ」の料理に異常に憧れたり、酵素玄米のお店が自由が丘にオープンすると聞けば、埼玉から1時間半かけてアルバイトに通ったり。
――当時、家ではどんなものを作っていたのか、覚えていますか。
長谷川 当時の記憶があまりないんですけど、小難しいレシピに挑戦していたことだけは覚えています。小難しければ小難しいほど、料理をしている間は強制的に悩みを忘れられる。その状態がありがたかったので、バルサミコ酢を煮詰めて部屋中に酢の匂いが充満し、家のなかで異臭騒ぎを引き起こしたりして……。
あとは、友人にどんなものを食べたいか聞いて、そのリクエストに合ったレシピを探して作っていたかな。
――料理初心者の状態で人に料理を作るのは、緊張しませんでしたか。
長谷川 おそろしいことに、その時は、自分は料理の天才だと本当に思っていたので(笑)。レシピを読んで、その通りにつくって土鍋で炊き込みご飯が炊けたら、もう「私って天才かも」と。友人の期待に応えられそうなレシピを見つけたら、もう「勝った!」みたいな感じです。
レシピから離れて、自分で創作するということにチャレンジしやすかったのがおにぎりでした。食材と食材の組み合わせで、その可能性は無限ですよね。「これとこれを合わせたらどうなるんだろう?」というような面白みのあるレシピが美味しくハマると、かなり嬉しかったのを覚えています。
――料理を誰かに美味しいと言ってもらえるのが、料理家としての原点でしょうか。
長谷川 うーん……もちろん美味しいと言ってもらえるのは喜びなんですけど、私の場合、レシピ本を読む時間や手を動かして作る時間そのものが自分のつらい気持ちを忘れさせてくれたことがこの道に進んだ理由として大きいんですよね。
手順を踏んでいったら、絶対に完成形にたどり着く。その完成形が、自分は料理の天才だと錯覚させてくれる。何者かでいないと生きていられなかった自分にとって、それは大きなことでした。レシピのおかげで「私は私のまま、生きていてもいいのかもな」と思えたことが料理家としての原点ですね。
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