タバコを吸いながら「お母さんには内緒やねん」
粒谷は、生駒市での初めてのスポット演説を記憶している。マンションの前で高市に演説するよう指示したのだ。
「本人は怒っとったね。『何で、こんな誰もいないところで喋らなあかんねん』と。でも、聴衆を集めてその前で演説したところで、票の掘り起こしにはならんのよ。集まってくれている時点でその人たちは候補者に関心をもってくれているわけで、それよりは、マンション住民の何人かでも新たに高市に興味を持ってくれるのがええ。なので僕は『これがええねん』と言ってね」
乾によれば、高市は、選挙の手伝いに来ていた母・和子から、振る舞いや礼儀について「サナエ、そんなんじゃダメなのよ」とよく𠮟られていた。愛煙家の高市が車の中でタバコを吸うときには、こう言っていたという。
「お母さんには内緒やねん」
傍目からは輝かしい経歴を持ちながらも、母には頭が上がらない。そういう人間臭さもまた、支援者たちを引きつけていたようだ。
だが結局、奈良選挙区では自民公認の三男雄が21万2537票を獲得して当選。無所属の高市は15万9274票で、次点で敗れた。リクルート事件に憤り、政治改革を訴えていたにもかかわらず、選挙後には陣営内の「使途不明金騒動」が報じられる皮肉もあった(「週刊宝石」92年10月8日号)。
だが、次のチャンスが1年も経たずにめぐってきた。
翌93年6月。宮澤喜一首相が内閣不信任案の可決を受けて、衆院を解散した。政治改革の風が吹き荒れ、自民党に逆風が吹く。この選挙で再び無所属で出馬した高市は、中選挙区制での奈良県全県区で13万1345票を獲得し、自民の奥野や新生党から出馬した前田らを抑えてトップ当選を果たす。
このとき32歳。高市は自著『高市早苗のぶっとび永田町日記』の中で、〈女性代議士としては、憲政史上最年少での当選だった〉と胸を張った(実際には1946年衆院選で三木キヨ子が26歳で当選した事例がある)。
ただ、この選挙からは、最初の選挙で後ろ盾に逆らってまで古い自民党政治に挑戦状を叩きつけたような熱気は感じられない。(文中敬称略)
※この続きでは、“奈良政界のドン”浅川清と高市早苗氏の関係を詳しく掘り下げています。約1万2000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年8月号に掲載されています(甚野博則+本誌取材班「裏切りと涙のサナエ劇場」)。

