アラスカの広大な風景、厳しくも美しい自然、そこに生きる人々や動物たちの姿を、写真とエッセイで届けてくれた星野道夫さん。亡くなって30年がたつ今も、写真展に足を運び、文章を読み込み、作品とその世界観を愛しつづける人が後を絶たない。亡くなって30年になるこの夏、星野道夫事務所の星野直子さんに、お話を伺いました(前後編・後編はこちら)。
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どこで撮ったかわからない写真
――2026年8月で、星野道夫さんが亡くなられて30年になります。直子さんは2000年に、星野道夫事務所を設立されましたね。
星野 96年に亡くなって以降、本当に多くのお問い合わせをいただきました。すぐに慶応義塾大学探検部の顧問だった大先輩が、星野道夫記念ライブラリーという受け皿を作って、対応してくださったんです。私はそのころまだ、仕事に全く関わっていませんでしたし、子供が小さくて動けなかった。星野道夫記念ライブラリーのおかげで、2000年12月に事務所を立ち上げることができました。以降はこちらがすべての窓口となっています。
仕事は、基本的には写真と著作物の管理です。写真を雑誌に掲載したい、エッセイの一部分を本で引用したいとか、朗読に文章を使いたいというお問い合わせがよく来ます。教科書や教材で使いたいという申請も多いですね。最初のころはデュープ(オリジナルのフィルムを複製したもの)を貸し出していましたが、最近はほとんどがデータでの貸し出しです。写真展の依頼があったときは、主催者や企画会社と協力して一緒に作り上げていきます。今までに大きい巡回展が4つあり、5つ目は現在も巡回中です。
〈星野道夫プロフィール〉
1952年千葉県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、アラスカ大学野生動物管理学部に入学。以後、アラスカを生活の基盤にして撮影・執筆活動をする。86年アニマ賞、90年木村伊兵衛写真賞受賞。96年8月8日、カムチャツカ半島での取材中、ヒグマの事故により急逝。著書に『イニュニック〔生命〕アラスカの原野を旅する』『旅をする木』『ノーザンライツ』『長い旅の途上』、写真集に『Alaska 風のような物語』『アークティック・オデッセイ 遥かなる極北の記憶』などがある。
――星野さんは膨大な量のフィルムやメモ、資料を残されたと思います。それらを整理・管理するうえで、特に大変だったことはありますか。
星野 はい、大変だったのは、本人が、いつどこで撮ったか、という写真の記録を残していなかったことですね。初期のころの写真集に載ったものは、撮った場所などのキャプションがついているものも少しあるのですが、何もないものがほとんどです。
デナリなど特徴的なものが写っていればよいのですが、風景から推測できるものは限られています。
以前、星野の友人たちに写真集を見せて撮影場所が分かるものがあるか尋ねました。例えば、『星野道夫の仕事』(朝日新聞社)の第1巻は「カリブー」をテーマにしたものなので、星野のカリブーの撮影を、ブッシュパイロットとして長年サポートし、何度も一緒に旅をしたドン・ロスに話を聞きました。全体に風景が写っているような写真だと、場所の推測はできるものはあっても、クロ―ズアップされたものの判別はとても難しいです。同じような写真はたくさんあるけれど、撮影した場所が少しずつ違うんです。
ほしのなおこ〇1969年生まれ。短大卒業後、書店勤務。91年に星野道夫と知り合い、93年結婚。94年長男出産。夫の死後、星野道夫事務所を設立。日本とアラスカを行き来しながら、作品の管理を務める。
――そういう写真や原稿は、アラスカのご自宅に保管されていたのですか。
星野 写真については生前、エイジェントが管理していました。原稿は当時、ファックスで編集者とやり取りをしていましたが、出版されると本人が処分していたので、原稿はほとんど残っていませんでした。いくつか残っていた直筆の原稿は、亡くなったあとにかき集めて日本に持ち帰りました。
