懲役は…

 1969年3月18日に横浜地裁が下した判決は無期懲役。

「殺害行為は強姦に際して敢行されたものではあるが、被害者に襲いかかったときから殺意を抱いていたわけではない。殺害の内容も『殺害したうえで強姦しよう』といった積極的・意欲的なものではなかった」というのが、量刑の理由だった。

 これを承服できない検察側は即日控訴。1972年7月18日、東京高裁は「(佐藤)被告が被害者の言葉に逆上し、その仕返しのために明確な殺意をもって犯行に及んだ」として一審判決が認めた“未必の故意”を否定。

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 さらに「自首を勧められても拒否するなど、いささかも改悛の情がない。本件犯罪が社会に与えた深刻重大な影響など、諸般の情状を十分に勘案し、慎重に考慮を重ねても、被告人には極刑をもって臨むべきだ」と認定し、死刑を宣告する。

 その後、最高裁も高裁判決を支持し死刑が確定(1972年10月16日)。佐藤は確定死刑囚として東京拘置所の独居房に収監される。

 死刑執行はそれから10年後の1982年11月25日。前記したとおり、当日の朝、死刑執行を告げられた佐藤は「自分は今、再審の手続きをしようとしていた。なぜ今執行するのだ」と抵抗、激しく暴れ、最期の祈りや教誨もないまま処刑台の露と消えた。

 ちなみに、事件後、Aさんが通学していた湘南高校では再発防止のため、定時制の生徒714人のうち女子生徒全員(252人)に携帯型防犯ブザーを購入・配布することを決定。