連想ゲームのような由緒
しかも、河勝が最後に流れ着いた「シャクシ」や、大「サケ」大明神という地名や名称には、さきの宿神信仰が暗示されている。アメノウズメ―後戸―摩多羅神―宿神―秦河勝と、あたかも連想ゲームのようにイメージの連鎖で物事を説明していくのは、中世人の思考の特徴である。現代人には必ずしも論理的とは思えないものだが、しばしば彼らはこうしたかたちで既存の信仰やキャラクターを貪欲に取り込み、自分たちの由緒を語った。
それというのも、当時の社会にあって、猿楽は下等な芸能として卑賤視されていた。事実、若き日の世阿弥が足利義満から破格の寵愛を受けたときなども、これに嫉妬した公家の一人は日記のなかで猿楽を「乞食の所行」と罵倒している(『後愚昧記』永和4年6月7日条)。こうした心ない声は、当然、彼らの耳にも届いていただろう。世阿弥は(3)の途中で、猿楽は正しくは「申楽」と書き、本来は「神楽」だったものが「神」の字の示偏をとって「申楽」となったのだ、という強引な語源説を展開している。世阿弥は「猿楽」の「猿」に差別的なニュアンスがあることを嫌い、こじつけを承知で新説を唱え、猿楽がアメノウズメ以来の神楽の伝統を引き継ぐ、正統な芸能であることを誇示したのだ。
ただ、これら一連の世阿弥の猿楽起源譚では、後戸と摩多羅神のつながりや秦河勝と宿神のつながりなど、全般的に言葉足らずの印象が強い。また、なぜか起源譚の末尾には「金春座は河勝の遠孫である」との唐突な記述も見える。金春家も観世家と同じく秦姓を名乗る一族ではあるが、ここで急に金春家が出てくるのは解せない。これはおそらく、先の「面白い」の語源説でも述べたように、一連の逸話が世阿弥により独自に創作されたものではなく、古くから芸能民(とくに金春系)の間で語り伝えられてきたものであることを示しているのだろう。世阿弥の叙述は、そうした口伝の集大成だったのだ。きっと当時の職能民集団には、現代には伝わっていないだけで、こうしたイマジネーション豊かな起源譚が他にも多く語り伝えられていたに違いない。
