45年前、「世界のオザワ」がボストンフィルの音楽監督に就任
本田宗一郎と藤澤武夫は四半世紀をかけて「世界のホンダ」を築き上げたあと、1973年に勇退する。この年の9月24日、指揮者の小澤征爾(当時38歳)がアメリカのボストン交響楽団の音楽監督に就任した。
ただ、全米屈指の名門フィルとあって、オファーを受けた小澤は、《この歳で、ボストンを振ったりしていいのだろうか、この先どこを目標にしたらいいかわからなくなっちゃうからさ》と4ヵ月間、悩みに悩んだという(沢木耕太郎『若き実力者たち』文春文庫)。それでも彼は引き受け、じつに29年も務めることになる。「世界のオザワ」はその後も、ウィーン国立歌劇場音楽監督、フランス芸術アカデミーの本会員に迎えられるなど、多くの栄誉に浴した。
ちなみに小澤はボストン交響楽団に赴任した翌年、長男でのちに俳優となる征悦を儲けている。そういえば、10年前の大河ドラマ『篤姫』で西郷隆盛を演じたのは小澤征悦だった。
Qちゃんのシドニー金メダルも9月24日だった
栄誉といえば、永野芽郁が1歳の誕生日を迎えた2000年9月24日には、シドニーオリンピックの女子マラソンで高橋尚子(当時28歳)が、当時のオリンピック記録となる2時間23分14秒で優勝している。ゴール後、「とっても楽しい42キロでした」と明るく語った彼女は、翌月には国民栄誉賞も受賞する。
高橋の出身地は、『半分、青い。』の舞台となった岐阜県である(ただし、高橋は西濃の岐阜市出身、ドラマの舞台は東濃と地域は違うが)。ドラマの撮影中、東京出身の永野は、セリフに出てくる岐阜ことばに苦労したという。それでも何度も口に出して練習するうちに法則をつかみ、最近では、友達との電話でも岐阜ことばが出るほど馴染んだらしい。
19歳になった永野芽郁は『半分、青い。』をどう締めくくるのか
ここしばらく昭和以前を舞台にした作品が目立つ朝ドラにあって、『半分、青い。』は平成を主な舞台に、こうと思い立ったらまわりが反対しようとも突き進む現代的な女性を主人公としていた。演じる永野は、主人公の鈴愛を素のままで演じられると思っていたが、演技を続けるうちに《私は鈴愛よりもうちょっと冷静かな》と違いも見えてきたと語る(『文藝春秋』2018年8月号)。
ドラマのなかで永野は、上京してマンガ家になったかと思えば、数年で見切りをつけ、やがて映画監督の卵と結婚・出産するも、けっきょく離婚、一時は帰郷しながら再び上京し、幼馴染の律と再会すると「そよ風の扇風機」の開発に力を注ぎ――と、じつにめまぐるしい人生を演じてきた。鈴愛は劇中で40歳になろうとしているが、実際の彼女はまだ10代ということにあらためて驚かされる。従来の朝ドラのヒロイン像を打ち破るような自由奔放な役を演じきった永野が、この経験を糧に今後どのような展開を見せるのか、楽しみにしたい。