『原爆供養塔』でもっとも伝えたかったこと

――この本は、佐伯敏子さんという「原爆供養塔の守り人」の生涯を追ったノンフィクションであると同時に、ヒロシマをめぐる重大な真実の謎が、堀川さんによる丹念な取材で解き明かされていく展開にもなっています。この本の中で、特に読者に読んでほしいと思う部分はありますか。

堀川 そうですね。原爆供養塔には7万人のご遺骨が眠っていると言われています。でもその7万の根拠は、この本で示した通り、昭和20年の末に、死者14万(±1万)人のうち、まぁ7万人くらいは身元が分かっているから、計算上、引き算をして7万人が行方不明で供養塔にいるよという、もう非常にアバウトな形で算出された数字なわけですよ。それは事実上、死者を数えた数字とは言えないですよね。だけれども、その正確な数はさておき、供養塔に、引き取り手のない遺骨となって眠らざるをえない人たちには、ひとりひとりの人生があって、家族があって、生きていた時間があった。

 核兵器の威力を最大限に生かすためには、おそらく海上の船舶をねらったりとかではなく、都市に落とされることになる。そうなってくると、たとえ軍事目標という大義名分は付けたにしても、必ず無辜(むこ)の市民が巻き添えになる。市民がどうしても軍事目標の周辺にいる。この『原爆供養塔』を読めば、どういう人たちが原爆投下のキノコ雲の下にいたかということが具体的に分かります。作家として為すべきことは、ひとつひとつの人生を丹念にたどるしか道はないと思い、その瞬間まで彼ら彼女たちがなぜ広島にいて、どう生きていたのかという足跡を取材でたどりました。

ADVERTISEMENT

原爆供養塔の守り人、佐伯敏子さん

――この本でも綴られていますが、堀川さんが佐伯敏子さんと出会ったのは、広島平和記念公園の、まさに原爆供養塔の前でしたね。

堀川 はい。思い返せば、佐伯さんとの出会いは、当時地元広島のテレビ局に記者として勤めていた私がヒロシマと向き合う大きなきっかけとなった出来事でした。

“広島の大母(おおかあ)さん”と呼ばれた佐伯敏子さん(左)と堀川惠子さん(高齢者保健施設にて撮影)。佐伯さんは供養塔に眠る人々と向き合い続け、人生を捧げた。(写真:堀川惠子所蔵)

 最初に会ったのは1993年ですが、原爆供養塔に行けば、いつも365日、土日もなく、真っ黒い喪服を着た佐伯さんがいるわけですよ。テントウムシのように緑の小山のような土饅頭(原爆供養塔)にひっついて、草むしりをしている。あそこは芝生を張ってあるので、雑草が生えるんです。佐伯さんはしっかり水もやって、土饅頭をいつもツルンツルンに綺麗にしていた。

 で、私が「佐伯さーん!」と叫んでタカタカ走って行くと、「この公園はソオッと歩かにゃあいけんよ」と、叱られる。「あなたが走っているその土の下には、今もたくさんの人たちが眠っているんだから」とたしなめられるわけです。平和公園の分厚いコンクリートの塊の下にはかつて広島有数の繁華街があり、大勢の人が暮らしていた場所だったんです。それが原爆投下でほぼ一瞬のうちに消滅した。まぁだから言ってみれば、佐伯さんにとっては、原爆供養塔だけではなく、広島の地そのものが墓地なんですよね。

 原爆投下後、町のあちこちで犠牲者の遺骨が野ざらしとなりうず高く積まれ、また何年も経った後でさえ、ほんのすこし足元を掘り返すだけで人骨が出てきたといいます。もっともそれから半世紀を経て、佐伯さんと出会った1993年ごろの広島の風景というのは、戦争の記憶なんか欠片もないような近代的な街の風景になってしまっていた。だけれども佐伯さんと出会ったことによって、足元に眠っている人たちの存在に思いを至らせることができるようになった。あの「ソオッと歩かにゃあいけんよ」という言葉は私にとって本当に大切で、本の冒頭で紹介したのです。

(2回目に続く)

ある晴れた夏の朝 (文春文庫)

小手鞠 るい

文藝春秋

2024年7月9日 発売

次の記事に続く 「普通のちいちゃなおばあちゃんなんですよ」近所の人から笑われても、“原爆供養塔”の守り人が無縁仏の遺族を訪ね歩く理由