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東京の「ブランド住宅地」と「似非ブランド住宅地」をスマホで簡単に見分ける方法

2018/09/25
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スマホで土地の価値をチェックしよう

 したがって東京で住宅を買う場合、東京の古地図を見ることをお勧めする。古地図はこれまでは該当する区役所や図書館などに足を運んで閲覧しなければならなかったが、最近は古地図関係のアプリが簡単に手に入る。

 アプリを使えば、江戸時代から明治、大正、昭和の街の変遷がよくわかる。そして多くのブランド住宅地は、その昔、大名の屋敷が軒を連ねていた場所なのだ。

家を買う前に「古地図」でチェックを ©iStock.com

 たとえば、東京六本木6丁目の六本木ヒルズ周辺を検索してみよう。このエリアは今では日本を代表するオフィスタワーとホテル、賃貸レジデンス等で賑わっているが、江戸時代には長州藩毛利氏の分家、毛利甲斐守上屋敷があったところだ。ヒルズ内にある毛利庭園が当時の面影を残している。

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東京の「ブランド住宅地」がたどった3つの歴史

 当たり前の話だが、江戸時代は江戸を守る旗本や譜代大名の屋敷が江戸城の近辺に配置され、そこからやや離れた高台に毛利や島津、前田、伊達といった外様大名が屋敷を構えていた。そして位の低い町人たちは、おもに江戸城の東の下町に居を構え、河川や運河に運ばれてくる物資を取り扱っていた。

 東京のブランド住宅地の歴史は、まず江戸城近隣の旗本、譜代大名の土地が維新政府に接収されて関係者が住むブランド住宅地となったところから始まり、それから周辺部の外様大名の屋敷跡が新たなブランド住宅地に加わり、さらに人口増に伴って鉄道会社等が沿線開発を行う中で新たなブランド住宅地を作り上げていったというおおむね3つの歴史的段階を踏んでいるのである。

江戸城を中心に「ブランド住宅地」は作られた ©iStock.com

アクセスで人気を博した湾岸エリア

 翻って現代では、都心居住となって湾岸エリアで開発が進み、タワーマンションが多数建設、分譲されるようになった。もともと工場や倉庫街で、分譲初期の頃は都心部としては比較的手軽な価格であったために、都心へのアクセスが注目され人気を博した。そして湾岸エリアでも月島や豊洲、勝どきといった街を「ブランド住宅地」と呼ぶような動きも出てきている。

 しかし、街にはその街が持っている歴史というものがしっかりと刻印されている。ブランド住宅地にはブランドたりうる歴史が隠されているのだ。高層建物を建てて、豪華な共用部や内装を設えても、建物自体は時代の変遷とともに劣化していく存在にすぎない。

歴史のない「ブランド住宅地」にはご用心 ©iStock.com

地震で孤立した札幌市のタワーマンション

 湾岸エリアが新たなブランドを形成するにはいまだ「力不足」の感は否めない。実際、今でも東京人で本当のお金持ちは湾岸タワーマンションを買わずに六本木や麻布、青山、赤坂などのマンションを買う。湾岸タワーマンションを買うのは「東京を知らない地方出身者と外国人」というのが不動産業者の間での定評なのだ。

 どんなに立派な建物を建てても幾多の自然災害や戦争などの人為災害によって建物の命は果ててしまう。先日発生した北海道胆振東部地震でも札幌市内のタワーマンションでエレベータ―が止まり、住民が水を持って高層階まで階段で登っていくというという悲惨な光景に人々は声を失った。建物という「はりぼて」だけでは歴史を作ることはできないのである。不動産の価値は土地で決まる。ならば買うのはやっぱり山の手なのである。

東京の「ブランド住宅地」と「似非ブランド住宅地」をスマホで簡単に見分ける方法

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