長野県出身の元グラビアアイドルで、現在は女子プロレスラーとして活躍する杏ちゃむさん。18歳のとき年間100試合のプロレスを観戦した筋金入りの“プ女子”は、いまや主戦場をデスマッチに置き、「流血天使」の異名を取るまでになった。

 蛍光灯300本が砕け散るリングの上で、彼女はなぜ血を流し続けるのか。驚きの半生に理由があった。

©ニット・チ・ダルマ

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「怖い」よりも「きれい」だった流血試合

――10代のときから、デスマッチへの憧れがあったと聞きました。

杏ちゃむ ありましたね。もともとは、肉体派で端正な顔立ちをした男子レスラー同士の試合を好んで応援していました。でも、あるとき“日本一過激”といわれる大日本プロレスの試合を見に行ったんです。当時、蛍光灯300本を使ったデスマッチが行われていて。具体的にイメージしづらいと思いますが、見慣れている人でさえ目を背けるような流血量でした。

――単純に、怖くなかったですか。

杏ちゃむ 美しいと思いました。それからデスマッチに傾倒していくんですが、「怖い」「危険」よりも「きれい」という憧れが強くなってしまって。一歩間違えば悲惨な結果になりかねないことをレスラーたちが重々理解したうえで、ともに芸術作品を作り上げていくような高揚感があるのかもしれません。

――量にかかわらず流血そのものから目を背けたくなりませんか。

杏ちゃむ もしかすると、自傷行為に慣れすぎた学生時代の背景があるのかもしれません。

 

愛情の形は「一緒にいること」ではなく「お金」

――詳しく教えてください。

杏ちゃむ 私は長野県生まれで、父、母との3人ぐらしのひとりっ子です。同じ地域の子どもに比べて、裕福な家庭だったと思います。

 父は燃えにくい衣類素材などを研究する学者で、実際に消防隊の防火服にも父の研究成果が採用されているようです。没頭するタイプで、研究第一でした。母は有名保険企業の営業職で成績を上げたキャリアウーマン。彼女も仕事が好きで、休日でも顧客から求められればすぐに飛んで出かける人でした。

――両親揃って仕事人間だった。

杏ちゃむ 明確に「仕事第一、家族はそれ以下」という優先順位でした。仕事熱心なのはよいことですが、当時はかなり寂しさを感じていましたね。小学校低学年のときから両親が家にいないため、祖母の家に預けられていました。祖母も忙しければ、自分で家の鍵を開けて置いてあるお金で何とかするか、冷凍食品を食べる生活です。母はあまり料理が得意ではなくて……。