身体を刻めば、関心を持ってもらえる
――中学時代は激動だった。
杏ちゃむ 本当に。ただ、断片的な記憶はあるのですが、体系だっていないんですよね。私が中1か中2のとき、両親があっけなく離婚するんです。母がひとりで買ったマンションに引き取られることになったんですが、そこで母と長く一緒にいることはありませんでした。
児童相談所に一時預かりで保護されたり、地元の先輩と同棲したり、ヤンキーのシェアハウスみたいな場所に居た時期もあったり……。その時系列が思い出せないんです。ただ、普通の中学生みたいに、母と2人で暮らしている家から通学した期間は極めて短かったと思います。
――高校受験は何とかなったのでしょうか。
杏ちゃむ 中学卒業を目の前にして、ニュージーランドに留学することになったんです。
――児童相談所やヤンキーとのシェアハウスなど、混沌とした生活から、中学卒業前に突然ニュージーランドへ留学することになった……。どのような経緯があったのでしょうか。
杏ちゃむ 昔から「英語だけは将来役に立つから」と、3歳くらいから英会話をはじめ色々な教室に両親が通わせてくれていたんです。中学時代、あまり学校に通えていなかったので、普通に受験できる高校も内申点もなくて……。留学費用もすべて親が負担してくれたんですよね。今振り返ると、本当に迷惑をかけてばかりでしたね。
――現地での生活はどうでしたか?
杏ちゃむ 英語だけはわりとちゃんと学んでいたので熱心に勉強を頑張ったのですが、ホストファミリーから「この子のメンタルは大丈夫なのか?」と思われてしまったらしく、結局帰国することになりました。
――なぜメンタル面を心配されたのでしょうか
杏ちゃむ 当時の私は、肩から手首までぎっしりとアームカットやリストカットの痕があったんです。留学した時点では自傷行為を辞めていましたが、傷跡はなかなか消えないうえに、海外は、日本よりも自傷行為に対してナイーヴですしね。
――それほどたくさん手首を切っていた。
杏ちゃむ 切りました。母は私の傷を見ても通常通りに仕事に行きましたが、地元の友人たちは心配してくれたんですよね。身体を刻めば関心を持たれたり、心配してもらえることを学んでしまったので、当時は頻繁に腕を切っては血を流していました。そのうち、流れてくる血に抵抗もなくなり、どちらかといえば落ち着くようにさえなっていきました。
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