当時のキャンペーンガールは水着姿を披露するのが当たり前だったが、19歳の彼女は《世間に写真が出回るのはうれしいです。戸惑いはありません。イヤなのは、とにかく水着にならなくちゃいけないことです》とインタビューではっきり口にしていた(『アサヒ芸能』1986年6月5日号)。
鈴木はデビュー当初より俳優志望で、バラエティ番組のアシスタントの仕事を入れられたときには抵抗して、事務所の人と大喧嘩したほどだった。それでもキャンギャルとして水着になることには抗えず、彼女も「そういうものだ」と呪文を唱えるように自分に言い聞かせ、立ち止まって考えるのを放棄していたという。
レオタード姿の写真を求められて
最近、テレビのトーク番組に出演するに際し、鈴木はデビュー当時にレオタード姿で撮った写真の使用許可を求められた。最初は承諾するつもりだったが、よくよく考えてみて、若い女性の無防備な姿が無頓着に扱われることの危うさに気づいた。
彼女は、自分の過去の仕事をけっして否定しないし、当時一緒に仕事をした大人たちを恨みもしていない。だが、その写真に何の注釈もつけず、ただ懐かしい、可愛いなどと笑い飛ばすのはあまりに雑ではないか。そうした振る舞いによって、いまの若い女性にかつての自分と同じ呪文を言わせるわけにはいかない――。そう考えた末に、番組側には丁重に断ったという(鈴木保奈美『わたし、そんなにとんがってましたかね。 獅子座、A型、丙午はめぐる』中央公論新社、2026年)。
「君のその童顔で言えば中和されるから」
話をデビュー当時に戻すと、鈴木はキャンペーンガールの活動と並行して、連続ドラマ『おんな風林火山』(TBS系、1986年)や映画『刑事物語5 やまびこの詩』(1987年)などに出演し、俳優としても順調なスタートを切る。1987年の単発ドラマ『ハートカクテル』(日本テレビ系)では三上博史とW主演を務め、翌年にはNHKの連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』で藤田朋子演じる主人公のいとこの役に抜擢され、徐々に世間から注目され始めた。
1988年には朝ドラに続き、フジテレビの月曜夜9時台=「月9」のドラマ『君が嘘をついた』に出演する。鈴木にとってはこれが一つの転機になったという。
