人は誰しも「苦痛」を抱えている
一方、「負の強化」とは苦痛の緩和です。
人は誰しも日々の緊張感や将来への不安やプレッシャー、過去のトラウマや逆境体験など、苦痛を抱えて生きています。
おそらく、この本を手に取ってくださっている読者の方々も、さまざまな痛み(否定的感情)を経験しながら今日まで生きてこられたはずです。
けれど、どんなにストレスを抱えていようと、私たちの多くは損失を繰り返しながらも薬物やアルコール、ギャンブルに耽溺することはありません。
スポーツをして汗を流したり、カラオケで大きな声で歌ったり、友人や知人に悩みを相談したり、適度かつ健全な方法で苦痛を和らげ、今日一日を生き抜いています。
しかし、そういった適切なストレス対処法を持ち合わせていない人の場合、どうすればよいでしょうか。
まるで頭痛のときに鎮痛剤を使うように、アルコールや薬物といった苦痛を一時的にせよすぐに和らげてくれるものを使い続けてしまうことは、依存症当事者でない方にも想像がつくと思います。
重度のアルコール依存症者が、栄養失調に陥り、失禁し、生きる屍のようになっても飲み続けるのは、けっして快楽のためではありません。
たとえば、若いときに覚醒剤に代表されるハードドラッグを常用していた薬物依存症者が、加齢や身体機能の低下とともにハードドラッグを身体が受け付けなくなり、大麻や処方薬に落ち着くというケースにもよく出会います。
彼らは自らの「生きづらさ」という苦痛の緩和のために、アルコールや違法薬物などの精神作用物質を使用し、大脳辺縁系を麻痺させ続けているのです。
依存症の本質は、快楽の追求ではなく「苦痛の緩和」にあると私は考えています。
鎮痛剤では生きづらさを解決できない
依存症者はコントロールできない苦痛を、精神作用物質によってコントロールできる苦痛へと変化させているといえます。先ほど頭痛の鎮痛剤の例を挙げましたが、鎮痛剤は、痛みの元となる炎症物質の発生を一時的にブロックする対処療法です。
これでは本質的な治療にはならず、ひょっとしたら頭痛の裏には重篤な病気が隠れているかもしれません。
先に挙げた2人の場合も、あくまで苦痛を一時的に棚上げしていただけで、生きづらさの根本的な解決にはなっていなかったのです。