家族に性別を報告…男の子で喜んだ本当の理由とは?

――misonoさんは、テレビ番組やブログなど公の場では、実姉である倖田來未さんを一人のアーティスト、そして先輩として敬意を込めて「倖田來未さん」と呼んでいますよね。番組では倖田來未さんも含めたご家族にお子さんの性別を伝える場面もありました。

misono 歌手としても女性としてもママとしても尊敬していて、神様的存在なので(笑)。お姉だけど「さん」をつけています。

 倖田來未さんのライブが終わった後、楽屋に身内が大集合して、性別発表できたんですけど、みんなのリアクションがよすぎてめちゃくちゃ楽しかったし、すごく喜んでくれていたから嬉しかったです。

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 でも、misonoが誤解を生むような表現をしてしまったので、視聴者さんの中には、「なんで男の子がよかったの?」「女の子だったら喜べなかったの?」「性別なんてどっちでもよくない?」っていう人もいて、幸せな瞬間なのに勘違いされてしまって、もどかしかったです。

 41歳までずっと子どもを望んできて、やっと授かることができた命なので感謝でしかないし。大好きな人と結婚できたのも奇跡だし、もちろん子どもがいなくてもじゅうぶん幸せで。

 出産するまでは、「年子で女の子も欲しい」って思ってたくらいだし、性別はどっちでも良かったんです。でも「内面も外見もNosukeにそっくりな男の子が欲しい」と願っていたら男の子だったから、さらに嬉しかったという意味だったんです。

「男の子がよかった」ということではなく、「この世で一番大好きな人に似た子どもに会いたかった」だけなんです。言葉足らずで、申し訳ないです。

misonoさん、Nosukeさん、お子さんのスリーショット(写真=本人提供)

93歳の祖母に出産費用を負担してもらうことにしたワケ

――Nosukeさんとの温かい関係性が伝わります。そんな中で、ブログでは93歳のお祖母様がお子さんの出産費用を負担してくれたことを明かされていましたね。

misono おばあちゃんの物忘れが最近すごくなってきて。別居婚をしていてNosukeがいなかったので、おばあちゃんの中では途中からmisonoは「未婚のシングルマザー」ってことになっていたし。

 でも、misonoが妊娠してることだけは、ずっと覚えてくれていて毎回びっくりでした。会う度にmisonoの身体や赤ちゃんを心配してくれていたので、いつも感動していました。

 自分はコロナ禍から関西にいて、声帯の手術までしたので、ほとんど実家にいたし、毎日のようにお母さんの手料理を食べに行っていたし。おばあちゃんからしたら、misonoが一人でずっと家にいるもんだから、無職だと思われていました(笑)。

 今はNosukeもずっと京都にいるので、思い出してくれていて仲良しです。

――いくつになっても大切なお孫さんなんですね。

misono ある日、ビーチサンダルを履いて自転車に乗っていたら、「おしゃれは足元からやで。『靴を買うお金もないから、安物の靴だけしか履けないんでしょ』って見られてしまうで」と……。「ちゃんとした靴を買いなさい」とお小遣いを渡そうとしてくれて。

 そういう時は「衣装部屋に山ほどあるから」って断るんですけど、出産費用だけは、おばあちゃんの気持ちをありがたく受け取らせてもらいました。

 自分は食べづわりだったので、移動中に気持ち悪くなってしまったり、お腹が大きくなってきてからも飲み物だけで息苦しくなってしまったり。講演会やトークショーなら出来たので、ギリギリまで働いていたんですけど、歌唱するお仕事も入れられなくなってきて。だからとても助かりました。

 お母さんとお父さんも、赤ちゃん用品をアカチャンホンポで大量に買ってくれました。

 子どもを授かったことで、世の中のお母さんをより一層リスペクトしたし、家族の温かさはもちろんのこと、友人やスタッフさんの優しさを今まで以上に感じられて。どれだけ小さな幸せであっても、見逃さなくなったし「甘えるのも親孝行になると思う」っていう友達からの言葉がすんなりと入ってきたんです。

 だから「自分は本当に家庭環境やご縁に恵まれてるな」って改めて思いました。