「パンチラ度は82パンチラだー!」とか騒ぎながら…
それで「きょうはみんなが2人の区別がつくようにこういうコーナーを作りました」と言って、ローライダーっていう、スイッチを押すと上下に揺れる車があるじゃないですか?
あの車の後部座席に姉妹を乗せて、股間の部分に「妹」「姉」と書かれた垂れ幕を付けて、揺れる車の中で垂れ幕に書かれた「姉妹」という文字を見ながら「おー、右が妹で、左が姉だー!」とか当てたりしてました。
――顔が似すぎて分からないから、垂れ幕で判断する、というコーナーだった。
大原 「パンチラ度は82パンチラだー!」とか騒ぎながら(笑)。今考えると本当にくだらないですけど、普通は思いつかないですよね。番組の作家さんが本当に天才だったと思います。
私自身はそういう仕事が楽しくて仕方なかったんですけど、その内容が苦になってミニスカポリスを辞めていく子も多かったです。女優を目指しているからと辞めた子や、中には撮影の翌日に連絡が取れなくなっちゃった子もいました。
SNSもスマホもなくておおらかだった時代
――芸能界に夢を持って入ってきた人の中には、いやらしいことや、くだらないことに対して「こんなことはできない」と思う人が出てくるのも仕方のないことかもしれませんね。
大原 そうなんですよ。でも私にとっては、そうしたくだらないこと、面白いことを毎日やっていられるのが楽しくて。「こんなに楽しいことをお仕事としてやっていいのか」と思うぐらい楽しい日々でした。
――ミニスカポリスは放送当時、特に男性の人気がすごい番組でした。大原さんの知名度もぐっと上がったのではないでしょうか。
大原 よくみなさんに「深夜にテレビをつけると、よく出てるよねー」って言われてました。あの当時はみんなお金があったから夜は外で遊んで、家に帰るのは深夜0時頃。逆にゴールデンタイムにはあまり家にいないんですよ。
私はキャラもあってなかなかゴールデンには出られず、深夜番組が多かったんですが、今となっては時代的にはそれがラッキーだったというのはありますね。



