武道家と心理療法士の飲み会はこんなに違う!
内田 違うのは、僕らが武道の修行をしているということですね。修行の目的って「我執を去って自在を得る」ことなんですよ。自我というのは、武道的には「ノイズ」であり、「濁り」なんです。だから、自我を消すことが修行の目的なんです。もちろん、消せやしないんですよ。我執は常にある。「消す」ことはできない。でも「去る」ことはできる。ちょっとずつ遠ざかることはできる。振り返ると「ああ、まだ我執があるなあ」と思うけれど、修行を積んでいるうちにそれが薄れてゆくのがわかる。
多田先生の門下の高段者たちはみんな仲がいいんです。競争的な武道だとそういうことはまずないんですが、さいわい合気道は試合がなく、勝敗強弱巧拙を競わないので、みんな道友なんです。お互いを批判しない。先生ご自身が門人たちの相対的な優劣について論及しない人だったおかげですね。
東畑 心理療法家の集団は人の悪口しか言わないです(笑)。もうとにかく悪口大好き。悪口にしかリビドーが向いていないんじゃないかと思うくらい(笑)。あれは良くないところでもあるんだけど、人間は「我」をフルレンジで生きていくのがいいんだっていう発想があるんだと思います。我をすべて味わい尽くして生きていく、というのが、精神分析の理想ですね。だから、より小市民的であればあるほど成熟しているっていう考え方になります。
我を出す、我を出しまくる、我が折られる、我が苦しむ。これを全部受け入れる。それが小市民であり、我をフルレンジで生きることです。嫉妬していたなら、自分が激しく嫉妬していることを認められるようになったほうがいいし、誰かを愛したなら死ぬほど愛せたほうがいいし、誰かを憎むなら心の底から憎めたほうがいい。精神分析はそれこそが自由だと考えるわけです。
内田 我をフルレンジにするのが心理療法なんですね(笑)。やり方は正反対ですね。武道は我を去って、心身の濁りを消してゆくことで、心身を解放するというメソッドなんです。武道でもある種の治療行為をしているわけなんだと思います。事実、入門してくる人たちって、それぞれ問題を抱えていて、「カウンセラーに行くか道場に入るか」っていう二択で来ている人がけっこう多いんです。
東畑 それが武道家の飲み会の健やかさに表れるんですね。心理療法家の飲み会は、すべてのテーブルでお互いの悪口言っていましたからね(笑)。
自分の我を愛せるようになって、我というのが悪いもんじゃないんだと思えて、それと同時に、人間って悪いもんじゃないんだって思えるようになるといいんだと思います。やっぱり体って、すごく助けてくれるんですよ。言葉にすると我になって、妄執とか自分を滅ぼすようなことになってしまうものを、体の次元でうまく取り扱う達人っていますよね。僕はまったくそれができないんですよ。言葉の人なんですよね。だけど深いトラウマを抱えた人たちが、まずは体を修復する、辛い記憶を思い出すよりも先に体を整えるというのはとても大事なことだと思います。
#2に続く
成熟した大人の心構えとは? ぜひ全編を文庫でお読みください!

