今の日本社会に一番足りないものは「成熟した大人」だと語る、思想家にして道場「凱風館」を主宰する武道家でもある内田樹さん。
新刊『街場の成熟論』文庫版には、東大・医学部合格者数ランキング上位常連かつユニークな教育で知られる都内屈指の名門・海城中学高等学校で、生徒たちに向けて熱く語った講演会の様子を新たに収録しています。
武道では、「居着く」者は必ず敗けるという内田さん。なぜ「本当の自分」に居着くことは危険なのか? 上手に成熟することが困難な時代に、子どもたちにも、思春期のお子さんを持つ親御さんにもご一読いただきたく、その一部を特別公開します(かく言う編集担当者も、わが子に「早く自分の夢を見つけてほしい」とガミガミ言ってしまい、反省……もっと早く読みたかったと切実に思いましたので、ぜひ!)。
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この30年間、学校教育では「自分の夢をみつけよう」と並行して「本当の自分を探そう」ということがうるさく教えられました。中教審(中央教育審議会)が「子どもたちの『自分探しの旅』を支援する」ということを言い出したのは、1996年のことです。もう30年近く前です。
「自分探し」ということが流行語になり、「本当の自分」とか「自分らしさ」とか「アイデンティティーの確立」というようなフレーズがメディア経由で垂れ流されました。
「本当の自分」を探す旅なんて、なんだかいいことのようですけれども、勘違いしてはいけません。これは言葉を替えて言えば、「一日も早く自分の将来の就職先を決めろ」という意味なんですから。早く自分の収まる「穴」を探し出して、一度そこにはまり込んだら、二度とそこから出てくるなという意味なんです。
でも、自分がこの先どんな人間になるかなんて、中学生や高校生にわかるはずがありません。自分の人生の設計図なんて、こんなに早い段階でできるわけがないんです。だって、あまりにも情報がないんだから。世の中の仕組みも知らないし、そもそもこの世にどんな職業があるのかも知らないわけでしょう。
君たちがいま知っている職業を箇条書きにしても、たぶん100以上は書き出せないと思います。でも、この世には君たちがその名前も知らない専門的な知識や技術や職能が存在するんです。僕の友人たちの中にはかなり変わった職業の人がいますが、君たちが今思いつける職業リストにはたぶん載っていないと思いますよ。「能楽師」とか「文楽人形遣い」とか「浪曲師」とか。「合気道家」も「乗馬インストラクター」も「山伏」もたぶん君たちのリストにはないでしょう。身近に見たことがないから。
でも、見たことのない職業なんて世界中探せば何十万じゃきかないですよ。だいたい僕たちはもののはずみで「そんな仕事に就くとは思ってもいなかった仕事」に就くものなんです。
虚弱児で、中高生の頃は自分が武道家になるなんて夢にも思わなかった
僕はいま武道を教えて飯を食っている「プロの武道家」ですけれども、中高生の頃はまさか自分がそんなことの専門家になるなんて想像もしておりませんでした。だって、心臓疾患を抱えた虚弱児で、体育の成績は5段階評価の2だったんですから。
そういうものなんですよ。中高生は世の中のことをよく知らないんですから、「もうちょっと世の中のことがわかってから決めます」でいいと思うんですよ。いつか、今の自分の語彙に存在しないもの、今の手持ちの「物差し」ではその価値や意味が考量できないものに出会うかも知れない。そのチャンスを待っている方が、早く専門を決めるより楽しそうじゃないですか。
僕は、50年間合気道という武道をやっている武道家であり、物書きであります。物書きとしては、いろいろなトピックについて書いてきました。哲学についても、文学についても、政治についても、映画についても、マンガについても、教育についても、家族についても著作があります。この年になるまで、自分の思ったことを、請われるまま好き放題書いてきました。
