「視界良好なら8月6日に第一目標の広島に投下」

 こうした経緯を経て7月16日の核実験成功を受け、トルーマン大統領は「8月3日以降の早い日」の原爆投下を命令。一方で7月26日に「ポツダム宣言」で日本に無条件降伏を求めたが日本が受諾しなかったため、8月2日に原爆投下地点を最終的に広島、小倉、長崎の三都市に絞り、「視界良好なら8月6日に第一目標の広島に投下」を決めた。

 余談だが、すでにドイツは5月初旬に降伏しており、日本もこのポツダム宣言を早期に受諾していたら「原子爆弾」という新型兵器は開発されたが使われないまま終戦に至った……という時系列的な経緯にも留意しておく必要がある。

米軍が課していた原爆投下候補都市の5つの条件

「広島軍都説」に立つと、なぜ京都が最初から最終盤まで候補地に残り、しかも最優先目標(AA)であったかという疑問に答えられない。京都には軍事施設もなければ兵器工場もなかったのだ。

ADVERTISEMENT

 米軍はあくまで軍事的視点に立って原爆投下候補都市に5つの条件を課していた。(1)これまで空襲に遭っていない無傷の都市であること、(2)平野部であること、(3)人口密集地であること、(4)効果の測定が容易な場所であること、そして(5)「直径3マイル外にも市街地が広がっていることが理想」という5つである。

 原爆を開発した科学者たちは「原爆は直径3マイル(4.8キロ)内に影響を及ぼす」と考えていたが、軍はさらに広い「市街地」であることを要求していた。これをとっても、「軍都」であることが条件ではなかったことがわかる。5条件のほか投下は「無警告」で実行することや「目視による投下」も課されていた。

 そもそも米軍は1945年1月から対日爆撃作戦のトップにカーチス・ルメイ少将を指名し、「攻撃はそれまでの軍事施設から一般家屋に変更し、住民の戦意を喪失させる」ことに目標を転換していた。