広島を「条件を満たす最適の都市」とした理由
3月10日の東京大空襲や5月の山の手空襲、さらに全国の主要都市への焼夷弾爆撃などの多くは民間人の住宅が密集しているところを狙ったものだった。
広島の照準点(投下目標地点)は「063096」(063が横座標、096が縦座標)で、これは市街地中心部の相生橋。相生橋のある中島地区は、今は平和記念公園になっているが、当時は市内有数の繁華街である。この頃、米軍にはすでに「軍事施設だから攻撃する」という“ヒューマニズム”の発想はなく、“軍事の論理”が優越していた。
また、そもそも原爆は通常爆弾と違って、仮に軍事施設を狙ったとしても、威力が強すぎて被害はそれ以外の広大な地域に及んでしまうので、軍事施設を狙うかどうかという考え方自体が成り立たない。
こうした経緯で米軍は、「最優先候補地の京都を除けば広島が条件を満たす最適の都市」としたのである。また、米軍は原爆の「効果の測定」を重視し、5月28日に続いて再度、7月21日に京都、広島、小倉、新潟への通常爆弾による空襲を中止する命令を出した(この時点で長崎には空襲を中止する命令が出されていなかったため、7月29日から8月1日までに3回空襲を行っている)。
軍事作戦責任者は「実戦実験」を強調…観測機器を投下し様々なデータを収集
原爆投下という米軍にとっても初めての軍事作戦の責任者はレスリー・グローブス准将で、彼は盛んに「実戦実験」ということを強調していた。このため、原爆とともにいくつもの観測機器を落下傘で投下、爆風、熱線、地上の温度、放射線など様々なデータを収集した。
さらには写真撮影機も随伴させていた。日本降伏後に米軍が広島、長崎に軍人や科学者からなる調査団を早期に送り込んだことも実戦実験の効果確認だったことを証明している。



