翌46年、米「ニューヨーカー」誌のジョン・ハーシー記者が「原爆の被害は爆撃による瞬間的、物理的破壊だけでなく後年まで人体に後障害が発生し続ける」と警鐘を鳴らすルポルタージュ「ヒロシマ」を掲載、出版すると大きな反響を呼んだ。
原爆による後障害は開発に関わった科学者はもちろん知っていたが、軍は首脳しか把握しておらず、軍人はもっぱらその威力にばかり注目していた。アメリカの一般市民は報道を通じて初めて「原爆という新兵器は爆発というその時かぎりの破壊力だけでなく、後障害という深刻なダメージを与え続ける」ことを知ったのが実態だった。
このため、投下直後の1945年世論調査では「原爆は悪」と答えていた人は17%と少なかったが、「ヒロシマ」の報道、その書籍出版後の47年調査では「悪」は38%と急増した。
「100万人の命を救った」は1年半後の後講釈
アメリカ国内の世論の急変に対し、原爆投下当時の陸軍長官だったスティムソンが「ハーパーズ」誌に反論を寄稿、「原爆を投下しないと日本軍は降伏せず、日本本土に上陸しての地上戦になれば100万人の死者が出たはずだ。原爆投下で早期に戦争を終結させることとどちらがよかったか」と二者択一論で原爆投下の正当性を訴えた。ただ、彼の寄稿は原爆投下後1年半も経過してからのものだった。
次に、投下後のトルーマン大統領の声明を見てみよう。ドイツ・ベルリン郊外でのポツダム会談からの帰国途中、大西洋上の重巡洋艦「オーガスタ」で発した声明には「16時間前、1機の米軍機が日本の重要な陸軍基地の広島に一発の爆弾を投じた」とあるだけだ。
3日後にワシントンに到着、ホワイトハウスから国民向けのラジオ演説で「世界は最初の原爆が広島という軍事拠点に投下されたことに注目するだろう。(中略)もし、日本が降伏しないならばさらなる原爆が軍事産業に投下され、残念だが数千人もの一般市民が命を失うだろう」と語り、さらに、「何千人もの若いアメリカ人の命を救うために我々はそれを使用した」と述べたが、ここでは「100万人」という数字はまだ登場していない。


