米軍による原爆投下作戦において、なぜ京都が最優先目標にされ、最終的に広島や長崎などが選ばれたのか。そこには「軍都」への攻撃という大義名分とは異なる、冷徹な軍事の論理が存在していた。

 ここでは、ジャーナリスト・三山秀昭氏の著書『ヒロシマ、ナガサキ 隠された真実』(文春新書)より、一部を抜粋。原爆投下都市の選定を巡る米軍中枢の議論と、民間人を標的とした「実戦実験」の経緯を紹介する。(全3回の1回目/2回目に続く

写真はイメージ ©beauty_box/イメージマート

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長官が最後まで拒否…京都が原爆投下候補地から除外された理由

 ここで注目すべきは、第2、3回の目標検討委員会で京都が最優先目標(AA)にランクされていたことだ。理由としては「人口百万を有する都市」であり、「かつての首都」であり、「知的中心地」であることなどが挙げられている。

 これに対し、ヘンリー・スティムソン陸軍長官は京都を除外するよう強硬に主張した。スティムソン長官は戦前、妻とともに京都を訪れたことがあり、「京都の美しさと宗教的文化、落ち着いた街の風景に感激」し、「京都に原爆を投下したら人類全体の損失になる」というのが反対理由だった。

「千年間朝廷があり、日本が誇る古都である京都に原爆を落とすと、戦後に日本を占領するうえで日本人の協力が得にくい」(米軍公電記録より要旨抜粋、筆者)と戦後の統治も理由に挙げた。その結果、京都が候補地から除外された。新潟も外された。

 米軍記録には、新潟は都市の規模が小さく、第一目標都市が(視界不良などで)攻撃できない場合、第二目標として距離が遠かった(『原爆投下部隊』工藤洋三・金子力)と記されている。しかし、米軍中枢は「あくまで京都が最優先候補」と主張、スティムソン長官に再考を求めたが、長官は最後まで京都を拒否した。