「がん対策基本法」が成立して、今年で20年を迎えた。地域を越えて国民が同じがん治療を受けられるようにすること(均霑〔きんてん〕化)や、放射線治療や緩和ケアといった手術以外の治療の拡大などを目指した同法によって、日本のがん医療はどう変化したのか。長年その最前線に立ち、自身もがん治療を経験した2人が語り合った。

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告知の“功罪”

 中川 基本法が成立するころは、がんの告知もやっとし始めたばかり。少なくとも、垣添先生が医者になられた頃はほとんど告知していなかったですよね? 胃がんは“胃潰瘍”、肺がんなら“肺真菌症”と伝えて「カビが生えた」と嘘をつく。

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 垣添 そうですね。私自身は、若い頃から患者に告知していましたが、ある時から告げ方に関しては本当に慎重になりました。50代の男性の膀胱鏡をのぞいたら小さながんがあって、すぐに「残念ながら小さい膀胱がんが見つかりました」と伝えたんですね。そうしたら、その途端に男性は顔が真っ青になって、ガクガクッと崩れて気を失ってしまったんです。椅子から転げ落ちて、検査のために注入した生理食塩水を全部失禁してしまった。

がん医療の最前線に立ってきた垣添氏(右)と中川氏が語り合った ©文藝春秋

 中川 あの時代は「がん」という言葉が、それほど重かった。

 垣添 そんなことがあってから、本当に告げ方が慎重になりました。患者の状況をよく見て、しっかり話した後に検査に回ってもらって、もう一度診察に戻ってきてもらって家に帰っても大丈夫か、精神状態を確かめるようにしています。

 中川 素晴らしいですね。

垣添忠生氏は「がん対策基本法」が成立した意義は大きいと語る ©文藝春秋

 垣添 そもそも、がんを「告知」という言葉が嫌いなんです。ほかの病気で、そんな言葉は使わないですよね。若い人が白血病で亡くなるようなドラマや書物の影響も大きかった。でも今は治るケースが増えて、共生していく時代。告知は当たり前になりました。最近はむしろ、若い医者が無造作に告知をしてしまうことが問題だと私は考えています。

 中川 最近は、患者から聞かれてもいないのに余命宣告までしますからね。この問題の根底には、患者側には情報が少なくて、医者がすべてを握っているという課題がある。その結果、幅広い治療法があっても患者が相談できない。この状況は引き続き、改善していくべきです。