2019年12月2日、笠井信輔氏は妻と長男とともにセカンドオピニオンの診断を受けた。結果は「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」という進行の早いアグレッシブな血液のがん。PET検査の画像では全身が無数のがん細胞で黄色く光り輝いていたという。
過酷な現実を前に激しいめまいと絶望に襲われ、死を覚悟した笠井氏が明かす闘病時生活の実情とは。同氏による『生きる力 がん寛解までの記録』の一部を抜粋して紹介する。
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息子への電話
師走に入って12月2日。最初の告知から10日が経過していました。セカンドオピニオンとして2回目の告知を受けるのです。最初の告知は1人で聞きましたが、この日は妻と長男に同行してもらいました。
別に心細いからではありません。
がんとの闘いは1人ではできないと感じていたからです。
一緒に病状を聞くことによって、家族全員で闘おうという気持ちになってくれたら、という私個人の思いから来てもらいました。
長男には、数日前に電話で報告しました。しかし、かけたタイミングが悪かった。
「父さんだけど。ちょっと大事な話があるんだけど、今いいかな?」
「あと10分でハーフマラソンのスタートだけど」
「あ、ごめん、じゃあ、後でいい。マラソンがんばってね」
さすがに、マラソン大会スタート直前の息子に、
「父さんがんなんだ」
「がん!」
よーいスタート!
\ BANG! /
というわけにはいかない。
仕切り直してその日の夕方、長男に電話をかけ直したんです。
「今朝の電話の話なんだけど」
「がんにでもなったの」
「! なんで、わかったの!」
「あんな働き方してたらわかるよ」
あの時ほど「やはり親子だ」と感じたことはありませんでした。
