主治医から「ステージ4」と告げられた笠井信輔氏は、世間に「復帰不可」「末期」という負のイメージを持たれるのを避けるため、完全寛解まで妻と長男だけの秘密にすることを決意した。

 24時間×5日間の連続抗がん剤投与が始まると、直後に顔面に巨大な蕁麻疹が発症。体は鉛を入れられたような猛烈なだるさに見舞われる……厳しい治療を進めていくなかで笠井氏は何を考えていたのか。笠井信輔氏の『生きる力  がん寛解までの記録』の一部を抜粋して紹介する。

寛解後はセミナーや公園に登壇することも増えた 写真はインスタグラムより

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家族と一緒に病状の説明を受ける

 入院してすぐに、「治療法に関しての説明をするのでご家族にも聞いてもらう方がいいでしょう」と主治医の先生からお話がありました。

 例によって妻と長男に病院に来てもらいました。

 血液内科病棟の面談室で長い時間をかけて私の病状を詳しく説明していただきました。血液内科病棟は悪性リンパ腫や白血病など血液の患者さんの病棟です。

 私の病気「悪性リンパ腫びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」の原発は腰の骨、さらに病変は肩、肋骨、脊椎、腸骨や骨髄にも認められました。さらに遺伝子検査によって特定の遺伝子に異常がみられたため「予後の悪いタイプ」であること。そのため、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫に対する一般的な治療では良い結果が得られない可能性があり、一段階強い抗がん剤治療を行うこと。そして副作用についての説明などが行われました。

日に日に抜けた髪の毛。闘病中は投稿を控えていた

 先生はとても頭の回転が速い方で、とにかく説明のテンポがとても速い。ホワイトボードにキーワードを書きながらどんどん話を進めていきます。

 幸い私も妻も報道関係者でテンポの速い記者会見などに参加した経験もあるため、先生の話はよくわかりました。ただ高齢の患者さんの中にはこうした医師の病状説明の後に看護師さんに、「先生の話は何を言っているのかまったくわかりませんでした」と感想を述べる方もいるそうです。

 おそらくそのためなのでしょう、一緒に説明に立ち会ってくださっていた医療チームの若い女性の先生が、病状説明用紙に先生の説明をとてもわかりやすく書いてくださっていて、後からそれを読めば完璧という資料ができあがりました。凄いコンビネーションだなと思いました。

 この日、私はどうしても先生に聞きたいことがありました。「ステージいくつなのか」という点です。

 有名人ががんになった際に、報道の大きなポイントとなるのがそれ。しかし、診断を受けてから1か月近くたっても、先生からステージの話は出ていませんでした。そこで思い切って切り出したのです。