どの年代でも他人に頼って生きるのが人間
人間は、誰にも頼らずに老いて死んでいくことが、そもそもできない生き物なのです。できないことを目標に掲げるから、苦しくなる。
登れない山を「登らなければ」と思い込んでいる人には、まず「その山は誰にも登れませんよ」と教えてあげるのが親切というものでしょう。
考えてみてください。あなたは人生の入り口で、どうやって生きていましたか。生まれたばかりの赤ん坊は、100%、他人に頼って生きています。おむつを替えてもらい、乳を与えてもらい、夜泣きをしてはあやしてもらう。あなたも僕も、例外なくそうやって生き延びてきました。誰ひとり、自力で育った人はいません。
では、大人になってからはどうでしょう。自立して、誰にも頼らず生きてきたつもりかもしれませんが、本当でしょうか。あなたが食べてきた米は誰かが作ったものですし、着ている服も、住んでいる家も、通った道路も、全部他人の仕事です。病気になれば医者に頼り、法律のもめごとがあれば専門家に頼る。人間はどの年代でも、他人に頼って生きています。
老後に人の手を借りることは、その延長線上にある、ごく自然なことにすぎません。人生の入り口で100%頼ってきたのですから、人生の出口で100%誰かに頼ったからといって、何の不都合があるのでしょうか。
だから僕は、はっきりこう言います。頼っていいのです。それも、遠慮がちに2割や3割程度頼るのではなく、必要なら100%頼っていい。
人は順番に支え合う
また、人の世話をするという営みには、負担と同時に、意味や張り合いが宿ります。ご自身のお子さんを育てたときに、はたまたご自身の親を介護したとき、あるいは周囲の友人を看病したときに、「迷惑をかけられた」などとは思わなかったはずです。
だとすれば、こんどはあなたが世話される側に回ったとき、相手にはただ「迷惑」だけが残る、と考えるのは、いささか相手に失礼な想像だと思いませんか。あなたが周囲から張り合いを受け取ったように、あなたの世話をする人も、何かを受け取るのです。
支え合いには、もうひとつ大事な性質があります。時間差で成り立つ、ということです。逆にいえば、あなた自身も、家庭や仕事を通して、誰かの人生を手助けして生きてきたといえるでしょう。当たり前のことですが、人は一人では生きられませんから。
人は同時にではなく、順番に支え合います。子どものときに世話になり、働き盛りに支える側に回り、老いてまた受け取る側になる。今のあなたが誰かの手を借りることは、長きにわたって繰り広げられてきた「順送り」のようなものなのです。
「頼るにしても、せめて相手の負担にならないように、何か気をつけることはありませんか」と聞かれることもあります。
僕はいつも「何もありません」と答えています。
頼り方の作法を考えて身構えるより、ありがとうと言って、にっこり笑っている方が、よほどお互いのためになります。
