払ってきた介護保険料に応じた当然の権利
もうひとつ、日本には介護保険という制度があります。40歳を過ぎたら、あなたも僕も、毎月保険料を払ってきたはずです。保険というのは、みんなで少しずつお金を出し合って、困った人が出たときにそこから支払う、支え合いの仕組みです。つまり介護保険を使うことは、「迷惑をかける」ことではなく、払ってきた保険料に応じた当然の権利を行使することです。火事になったのに、遠慮して火災保険を使わない人がいたらどう思いますか。「もったいない、何のために払ってきたの」と言うでしょう。介護もまったく同じです。堂々と使えばいいのです。
そもそも保険というのは、人類のじつに優れた発明です。中世ヨーロッパの職人たちはギルドという組合を作り、仲間が病気になったり亡くなったりしたとき、みんなで積み立てたお金から支払う仕組みを持っていました。大航海時代には、船の沈没に備える海上保険が生まれました。一人では抱えきれないリスクを、大勢で薄く分け合う。「お互いさま」を制度の形にしたもの、それが保険です。ですから、保険を使って生きることは、人類が何百年もかけて磨いてきた知恵の、正しい使い方にほかなりません。保険を生業にしてきた人間として、これだけは自信を持って言えます。
結論は一つ、「早めに、軽いうちに、頼る」
「でも、使う人が増えたら制度が持たないのでは」と心配する人もいるでしょう。
それは、順序が逆というものです。使われない制度は育ちません。需要がはっきり見えるからこそ、そこに人も予算もついていくのです。遠慮は、制度のためにもならないのです。少し怖い話もしておきます。「迷惑をかけたくない」という言葉には、実害があるのです。この言葉が口癖の人ほど、助けを求めるのが遅れてしまいます。体の異変を我慢し、一人で無理をして、家の中のことを抱え込む。その結果どうなるか。小さな不調が大きな病気になってから見つかる。転ばなくてもいい場所で転んで骨を折る。老老介護の共倒れも、多くはこのパターンです。早めに頼っていれば軽く済んだことが、遠慮のせいで重くなる。つまり「迷惑をかけたくない」という遠慮は、めぐりめぐって、周りの人の負担をいちばん大きくする選択なのです。皮肉なものだと思いませんか。周りを本当に思いやるなら、結論は一つです。早めに、軽いうちに、頼ることです。
迷惑をかけないことを、あきらめてください。あなたが人の手を借りて生きることは、迷惑ではありません。みんなが通ってきた道であり、みんながこれから通る道なのですから。