もちろん、年賀状を楽しみにしている人は、続ければいいのです。僕が言いたいのは、人生の後半では、つながりは数ではなく質が大切になるということです。義理と惰性の百本の糸より、確かな数本の糸。棚卸しとは、切り捨てのことではなく、限りある持ち時間と気力を、どの糸に注ぐかを選び直すことです。そして、やめるにも区切りは使えます。退職、古希、引っ越し。人生の節目は、関係を仕立て直す、いい口実になってくれるのです。

世代も、立場も「混ぜる」のが肝心

 僕が刺激的な人間関係を育む上で大事にしているのは、「混ぜること」です。人間は放っておくと、同じような人とばかり付き合います。同世代、同性、同じ会社、同じ業界、同じ考えの人。楽だからです。説明が要らず、話が早く、傷つく心配がない。しかし、この楽には、代償があります。同質な集まりの中では、器に新しい水が、ほとんど入ってこないのです。

 だからこそ、世代を混ぜ、立場を混ぜ、育ちも仕事も違う人たちと交流することが大切なのです。僕自身の周りを見てみると、週に何度も家に来てくれる30代のリハビリの専門職たちやオフィスに会いに来てくれる20代の会社員から70代の読者たち。学長時代に付き合った世界中から来た10代、20代の学生たち。そして、大学卒業以来の同級生たちなど、この歳になっても、僕の日々はずいぶんといろんな人が出入りしています。

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写真はイメージ ©AFLO

 混ぜるための場は、探せば身近にあります。行きつけの店を持つ。図書館や公民館の講座に出る。習い事を始める。こういう場のいいところは、世代も来歴もばらばらの人間が、同じ一つの興味でつながることです。囲碁の席では、相手が元役員だろうが大学生だろうが、盤の上では対等です。共通の用事が会社しかなかった人生に、会社以外の共通の用事を作る。混ぜるとは、突き詰めればそういうことです。

 混ぜることの効用を、もう一つ。世代の違う人と付き合うと、教わる側に回る練習が、自然にできます。たとえば、30代の理学療法士に、僕は体の動かし方を教わります。また、スマートフォンの使い方は、若い人に聞くのが一番でしょう。逆に、僕が彼らに何かを話すのは、聞かれたときだけです。頼まれて教え、頼まれない限り教わる。この呼吸さえ守れば、世代の混ざった付き合いは、双方にとって、こんなに面白いものはありません。

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