自宅と出先の環境の落差こそが「気分転換」の効果を最大化する
わたしの行動について友人が意外に感じたのは、自宅でのこだわりと、出先でのこだわりのなさ、その落差にあります。
この落差が自分にとって一種の方法なのだと気づいたのは、アメリカ留学時代、とあるカフェで定期的に作業していたときのことでした。
そのカフェはかなり広く、だいたいいつも、左右をふくめた3席をひとりで占有しても問題ないような混雑具合でした。そこにはわたしのように昼から何時間もカフェで仕事をする職種不明のひとたちがぽつぽつと集まっているのですが、その常連のひとりに、いつも自宅用のサブディスプレイを持ち込んでいる猛者がいました。あれはたぶん、27インチだと思います。
くりかえしますが、そのカフェはデカいディスプレイを持ち込むことで眉をひそめられるような店ではありませんでした。「あの大きさ持ってくんのマジかよ笑」ぐらいです。いま思えば、なんともアメリカらしいエピソードかもしれません。
さて、そのうえで、いつもカバンすら持たず11インチのMacBook Airのみを片手に来訪し作業していたわたしは、直観的に「フッ、わかってねえな」と思ったのです。
なにがわかっていないのか、それは当時のわたし自身がよくわかっていなかったのですが、いまならそれを言語化することができます。もちろんカフェになにを求めようとも人の勝手ですので、じっさいは「わかってない」のではなく、これは「俺のカフェの使いかたと違う」という感想だったわけですが、ともかく、その内実を考えてみたいと思います。
27インチのサブディスプレイをカフェに持ち込む動機は、出先における作業環境の快適さの実現です。その人は、まちがいなく、自宅でもサブディスプレイを使っているでしょう。なんなら2枚とか3枚とか使っているのではないかと邪推します。そしてカフェでも、部分的に自宅の作業環境の快適さを実現するために、その巨大な液晶画面を持ち込んでいる。もちろん実態はわかりませんが、この可能性はあるでしょう。
これは、カフェをなるべく自宅に近づけようとする努力です。でも、わたしがカフェに求めているのは、これとはまったく正反対のことなのです。
わたしの自宅には、良い椅子と広いデスクがあり、大きなディスプレイがあり、書架があり、そして静寂があります。最高の作業環境です。にもかかわらず、わたしはラップトップを片手に、あえて不便なカフェに行く。なんなら一時期、出先では6インチのiPhoneの画面で文章を書いていた時期すらありました。
なぜ、あえてそうするか。それは、メインとは異なる作業環境で仕事に相対することで、自宅とは違うインターフェイスを介してその仕事に相対できるからなのです。
たとえば執筆中の文章があるとしましょう。わたしはそれを、自宅の大きなサブディスプレイで書いています。そして一段落して、カフェに行きます。そのときカフェでは、あえて小さい画面でそれを眺める。そうすると、たとえるなら、文章を一日寝かせてフレッシュな頭で読みなおすような感覚で自分の文章を眺めることができます。
「気分転換」の重要な点は、これを空間的な移動によって瞬時に実現することを可能にしてくれるところにあります。その効果を最大化するために必要なことは、カフェの環境を自宅に近似することではない。むしろ、自宅の環境との落差があるからこそ効果があるのです。
