ゲラへの赤入れ、それは執筆者から読者の目へと「読む」認識を移行させる
もうすこし例を挙げましょう。以前、YouTubeで新著のゲラの赤入れを配信していたとき、「ゲラってなんのためにやるんですか」と聞かれたことがあります。
ゲラの赤入れは、まずはごくあたりまえに、原稿の最終チェックですので、この質問はナンセンスです。が、これを聞いたひともそんなことはわかっていて、「いうても仕上げた原稿が活字になるわけですよね?」という感じで聞いたのだと思います。誰もが自明な答えがあると思っている問題の別解を考えさせるような質問は、おもしろい質問です。
じっさいはゲラの段階で、たとえば図の位置とか、いろいろな新要素が出てくるというのもあるのですが、ただわたしはこれに、べつの答えを返しました。
ゲラを読む理由はふたつある。第一に、執筆時と違うレイアウトで文章を眺めなおすため。そして第二に、ちがう速度で読むため。
順に説明します。第一に、だいたいゲラというのはInDesignというソフトで組まれるのですが、ほとんどの執筆者はWordをはじめとするテクストアプリで文章を執筆していると思います。そしておそらく、ほとんどの執筆者は、デフォの横書きで書いているでしょう(そうでないあなたは上級者です)。
ゲラになると、これが縦書きになり、場合によっては2段組になり、文章のビジュアルがガラっと変わります。これがもたらす効果は、まさにカフェに移動することで得られるそれに似ています。すると印象がまったく違ってくる。かつてわたしは印刷時のレイアウトを完璧に再現して文章を書いていましたが、やめました。ゲラになったときの落差がなくなってしまうからです。
第二に、ゲラというのは「紙」で出てきます。この「紙」というのは物理的な紙でもいいですし、あるいはPDFでも同じことです。どういうことかというと、チェックしていて「んっ?」と思ったときに咄嗟に手元のキーボードでは修正できない状態になって出てくる、ということです。直すには、いったん「赤を入れる」しかない。
このような条件下では、ほんらい自分が自由に手を入れてよいはずの文章を、あるていど固定化された、出版時に近い状態で「読む」ことになります。これがわたしたちの認識を、執筆者のそれから読者のそれへと、強制的に移行させる。これもやはり、文書への心的態度を屈折させてくれます。
もちろん、テクストアプリの執筆時と同様に一言一句ゆっくりチェックすることもできるわけですが、わたしはこうした効用を求めているので、最低でも2回ある赤入れのどちらかは、極端に言えば、しいて「読み飛ばす」ようなスピードで読みます。まえに作曲家の友人が、曲のミックスの最終チェックで、スタジオのモニタ用のスピーカーだけではなく、あえて車のステレオで聴くと言っていました。これも同じことでしょう。
場所の変更、ゲラの赤入れ、読むスピード。これらはすべて、インプットのインターフェイスを切り替えることによって、自分の仕事をデフォルトとは異なるモードで眺めるためのテクニックにほかなりません。その効果は、たとえるなら、他人に見てコメントをもらうようなことにも近い。
だからわたしは、〆切がギリギリであるときにこそ、あえて場所を変えたり、仮眠したり、PDFにしてiPadで読んだりします。ときにはカフェを3軒くらいハシゴすることもあります。これは〆切前の1日でインターフェイスを何度も変えることで、一週間ぶんの時間を調達しているようなものなのです。
まとめましょう。仕事や勉強において、世にいう「気分転換」あるいは「リフレッシュ」がもつ機能の本質は、インターフェイスの交換にある。それは人工的に作り出すことのできる認知のモードの切り替えであり、ふだんの環境との落差があればあるほどよい。だから、もし気分転換でカフェに繰り出すなら、サブディスプレイなんて持ち込むべきではないのです。
今回はそういうお話でした。