一度は塾の先生になるも、諦められなかった女優の夢

 演劇を続けることをほのめかしたら、両親が京都に飛んできた。「新車を買ってやるから」と一晩かけて説得されたキムラは、200万円のスポーツカーを買ってもらって両親とともに淡路島に戻る。

 故郷で学習塾を始め、3年ほど近所の子どもたちに英語や数学を教えていた。生徒を笑わせながら勉強を教え、成績向上につなげる優秀な教師だった。当時のことを次のように振り返る。

「先生なんて一人芝居みたいなもの。子どもたちを引きつける能力がないとできない。一生懸命、楽しく聞いてくれる、勉強が向上する。お客さんが涙したり笑ったりする快感に近い」(朝日新聞 2022年11月10日)

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 すぐに転機がやってくる。マキノに電話で「劇団の女優がやめた。戻ってきてくれないか」と誘われたのだ。キムラはすぐさま車に家財道具を積んで家を飛び出した。教えていた子どもたちが、進学や卒業でちょうど一段落したのもタイミングが良かった。

 京都に戻ってマキノが旗揚げした劇団M.O.P.に合流。劇団が解散する2010年まで看板女優として君臨した。ジャンルを横断する作品に応じて役柄を次々と変え、「カメレオン女優」の素地を築く。『ごちそうさん』にキムラをキャスティングしたNHKの岡本幸江プロデューサーは、学生時代からM.O.P.でキムラを見てきたファンである。

(左から)堺雅人、キムラ緑子(『VIVANT』公式Instagramより)

 キムラは自分の人生を語るとき、よく「行き当たりばったり」と口にする。演劇を始めたのも、演劇に復帰したのもなりゆきだった。日本が元気だった80年代に青春時代を送った“新人類世代”の勢いを感じる。

 映像作品でのデビューもなりゆきだ。祇園でホステスのアルバイトをしているとき、客としてやってきた映画関係者に店のママが出演を頼んでデビューが決まった。それが『極道の妻たち 三代目姐』(89年)。元ヤクザの坂上忍を支えてレンタルビデオ店で働く妻・すぎ子を演じた、チョイ役だったが、坂上、かたせ梨乃らとしっかり渡り合っており、とてもデビュー作には見えない。