岡田本人が語る“掛布との不仲説”の真相

 それぞれプロとしてプライドを持ち、野球に対する考え方を持っていた。チーム内外で付き合う人も違えば、いったんグラウンドを離れてしまえば食事をともにするといった個人的な交流はなかった。2人にとっては、それ以上でもそれ以下でもなかったし、それが当たり前だった。

 だが、メディアが放ってはおかない。かたや習志野高校からドラフト6位で入団し、叩き上げで4番の座を掴んだ掛布。かたや大学野球の華である東京六大学リーグのスター選手として6球団競合のドラフト1位で縦縞に袖を通した岡田。

 対照的なキャリアと、「実績がある掛布を、将来有望な岡田が追う」という構図は、記者たちにとっては格好のネタだった。当時を知るベテラン記者も、「あれは俺らマスコミが悪かったと思うわ」と振り返るほど、メディアは2人の関係を邪推して面白おかしく書き立てた。

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 その結果、岡田と掛布の間に揉め事や仲違いがあったわけではないのに不仲説まで囁かれるようになる。いつしかそれは、メディアやファンの間でも事実としてまことしやかに語られるようになっていった。

 かつて私は、2人の関係の“本当のところ”を岡田に尋ねたことがある。すると、それまで穏やかだった岡田が少し不満げな表情を見せた。

「別に何もないよ。そんなん周りが勝手に言うてるだけやんか。プロなんやから。グラウンドで団結したらエエやん」

 かつて、岡田はデイリースポーツで連載していた自伝記事で、掛布が引退した際の心境をこう綴っている。

〈掛布さんは存在感があった。年齢が近く、打順もずっと隣だったこともあって、いい意味で意識してきた。ライバルという意識とはちょっと違うが…。寂寥感が心の奥底にあったのは否定しようがない〉

次の記事に続く 「阪神の4番は、巨人よりも大変」“ミスタータイガース”掛布雅之が語る、虎の主砲の重圧「家にカミソリ入りの手紙が何通も…」

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