マンホールや標識にも「渋谷川」を見つけるヒントが
北上して二つめにある十字路は八千代橋がかかっていた場所だ。この地面を見ると、「消火用吸水孔」と右から左に書かれた小さな四角いマンホール蓋が2カ所確認できる。これは、火災の際この八千代橋の上から渋谷川の水を汲み上げて消火活動にあたれるようつくられた孔なのである。
また、この通りを歩くと頻繁に4.0t、1.4tなどと描かれた「車両重量制限標識」が立てられていることに気づくだろう。この重量制限はもちろん、下を流れている渋谷川の地下構造を守るためのものだ。
道の真ん中の植え込みに置かれた隠田橋のモニュメントを過ぎると、見晴らしの良い大きな道・参道橋との交差点に出る。周囲に残された参道橋の親柱が何本見えるか探しながら、表参道の左右の高低差を確認してみよう。渋谷川の刻んだ谷の深さに驚くはずだ。
かつて葛飾北斎も描いた「渋谷川の水車」
いかにも川という蛇行をみせる道をさらに北上する。キャットストリートに入って以降いくつかの鋭角なY字路が現れるが、そのうちの何カ所かは水車堀(水車を回すために本流の横に掘られたバイパス水路)の跡だ。
なかでも村越の水車はたいそう立派なもので、杵が57本もある大規模なものだったという。決して肥沃とはいえない谷間にあるこの土地では、精米・製粉などの一大動力源となる水車が産業を支える大きな柱にもなっていた。大きな水車とはるか遠くに見える富士山を描いた葛飾北斎の有名な浮世絵「隠田の水車」は、これら渋谷川にかかる水車がモデルであるという。
やがて道端に現れるのが原宿橋の親柱だ。現在の原宿駅とはずいぶん離れているが、昔はここが原宿村の中心地だった。
谷筋に従って住宅街を抜けると渋谷川は外苑西通りを北上。交通量の多い大通りだけに本当にここが川なのかと不安にもなるが、観音橋と標識に書かれた交差点がエビデンスを与えてくれる。そのまま国立競技場の横を抜けてJR 中央線の高架を越え新宿御苑に入るまでがかつての渋谷川が流れていたラインだが、そこはちょうど渋谷区と新宿区の区境となっている。
渋谷川の水源は、新宿御苑の下の池・玉藻池・そして新宿御苑の北側を流れ四谷方面に向かう玉川上水の余水といわれているが、今も下の池の水の出口寄りでは、水底から勢いよく水が湧き出るのが確認できる。そんな「今も生きている」渋谷川は、高度経済成長期である1960年代から1970年代にかけて暗渠となった。
