日焼けしたギャルたちが街を闊歩し、こぞってハイブランドのアイテムを買い求めていた平成中期。長引く不況の閉塞感に、若者たちが「自分探し」に奔走した2000年代、一世を風靡した車があった。トヨタの「bB」である。
当時、街にはカスタムされたbBがあふれ、夜には煌々とネオンを輝かせながら重低音をかき鳴らしていた。「若者のクルマ離れ」が指摘されはじめたあの頃、なぜヤンチャな若者たちはあれほどbBの改造に熱中していたのだろうか。
今回はbBの一大ブームを振り返り、トヨタによる前代未聞のマーケティング手法や、今でもbBを愛してやまない改造車オーナーたちの姿から、当時の熱狂を紐解いてみたい。
世界のトヨタが「改造上等」で売り出した
平成の車業界は、「セダン不振」に苦しんだ時代である。バブル崩壊から景気は一向に上向かず、若者たちはクラシックなセダンにステータス性を感じなくなっていく。
車選びにおいては「利便性」や「経済的な合理性」が重視されるようになり、90年代中頃からはミニバンやコンパクトカーが生活のスタンダードになっていった。
そのなかで2000年に登場した初代bBは、若者たちに再度「趣味としての車」を楽しんでほしいという狙いから開発された車である。トヨタはヤンチャな若者にターゲットを定め、あらかじめ「カスタム前提の車」として売り出したのだ。
そのコンセプトは異例ずくめの新車発表からして明らかだった。発表の場として選ばれたのは通例の東京モーターショーではなく、カスタムカーの祭典「東京オートサロン」。驚くべきことに、会場にはノーマルの車が1台も展示されていなかった。
かわりにbBの専用ブースに並んだのは、さまざまなアフターパーツメーカーのエアロパーツをまとった11台の改造bB。メーカーによる公式なリリースでありながら、素の状態をあえて見せず、「カスタム後の完成図」だけを提示したのである。
さらに、ここでデモカーに装着されていた社外パーツは、実際に全国のディーラーで直接注文できる仕組みになっていた。要するに、トヨタで公式に改造車が買えたわけである。
今でこそ「モデリスタ仕様のアルファード」など、オプションでのエアロパーツ装着は一般的なものになっている。しかし、当時はエアロパーツなどに関する1995年の規制緩和からまだ日が浅く、とくに社外パーツにはアングラなイメージが残されていた。
こうしたなか、「社外品を使いながらメーカー公認」というスタイルを打ち出したbBが、その後の車業界に与えた影響は小さくなかっただろう。「新車時点で他人と差別化したい」という消費者の欲求を、メーカー側がはっきりと肯定し、それを後押しする構えを示したのである。

