あの時、ベンチは騒然としていた
だが、降板を告げられた後も、村上はベンチ内で笑顔を見せていた。それは先発という久しぶりの大役を無事に果たせた安堵だったのか。それとも、悔しさを押し隠すための苦笑いだったのか。
「ベンチで周囲の反応は“交代!? マジ!? マジか……!”みたいな感じだったんです。野手の方々にも“代わんの!?”みたいにめちゃめちゃ言われていて。そこで“代わります。すみません”みたいな感じで話しているところをカメラに抜かれて……。めっちゃ笑っているみたいになっていましたね」
そして、最後にこう付け加えた。
「……やっぱり投げたかったですね」
プロの世界で、すべてを賭けて掴み取ったマウンドを他の誰かに譲りたい、という投手はいないだろう。まして球史に名前を残す千載一遇のチャンスだった。「投げたかった」という言葉は、100人投手がいたら間違いなく100人が答えるに違いない偽らざる心境だろう。
試合後、3塁ベンチ裏で行われるテレビインタビューでは岡田も複雑な表情を見せた。受け答えの歯切れは悪く、珍しく落ち着きもない。
「まぁ勝ったからね、良かったようなもののねぇ。頭の中でずっとね、“完全試合いけたんかなぁ”っていうね。それは残ってる。ちょっとね、片隅にね」
1人の野球人としての心の揺れがあったことを正直に明かしている。自身も目の前で完全試合を見てみたかっただろう。後日、私がこのインタビューの話に水を向けると、いかにも岡田らしい言い回しで即座にこう答えた。
「それはそう思うけど、“思うだけ”やんか」
指揮官としては「降板させる」という決断に迷いがあったわけではない、という。その理由もやはり岡田らしかった。
「村上はあの試合だけじゃないからな。まだ第1歩目やったんやから。その1歩目をどうするかっていうところで、自信をつけさせてな。俺はあの試合がどうこうより、その後が大事やと思うてたから」
チームの勝利と、選手の野球人生を、ともに預かる者として導き出した最善策が、「交代」だった。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。
