1985年、球団初の日本一を遂げた阪神タイガース。その原動力になったのは、打線の中軸にいたそれぞれ年齢の近い掛布雅之と岡田彰布の2人だろう。この2人について、マスコミは何度も不仲説をささやいてきた。実際のところ、どうなのか? デイリースポーツで長らく「岡田番」を務めた西岡誠氏による新著『7657日の孤独 岡田彰布は阪神タイガースに何を遺したのか』から抜粋してお届けする。

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ゴールデンルーキー・岡田を待ち受けていた“不動のサード”掛布

 今なおファンの間で語り継がれている1985年4月17日、甲子園での巨人戦。3番のランディ・バース、4番・掛布、5番・岡田の3者連続ホームラン、通称“バックスクリーン3連発”に代表されるように、クリーンアップとして2人はチームを支えた。

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 阪神の歴史にも球史にも名を残す2人の運命は、1979年のドラフト会議から交錯していた。

 その年のアマチュア選手で一番の目玉は、当時、早稲田大学4年生の岡田だった。東京六大学野球リーグでは3年秋に三冠王に輝き、優勝に貢献。4年時は「4番・サード」で主将を務めた。リーグ戦での通算打率.379、81打点は今も破られていない連盟記録でもある。

 日米大学野球でも日本代表の4番を担った逸材を、ドラフト会議では当時史上最多となる6球団が指名した。阪神、ヤクルト、西武ライオンズ、南海ホークス、阪急ブレーブス、近鉄バファローズ――抽選の結果、阪神が交渉権を獲得した。

 子どもの頃から甲子園に通った岡田にとって阪神はもちろん憧れの球団だった。