『タラワ』は攻める米軍の側から見た戦記であって、守る日本軍の側にはもっと筆舌につくしがたい、悲惨なものがあるのであるが、身を以て体験した私に、それを文字に再現するだけの素養も何もない事は、実に口惜しい事である。しかしあの時、若し生きのびる事がわかっていたとしても、後々のためにメモしたり、冷静に戦況を見る事などどうして出来たであろう。

 その暇がどこにあったろう。戦う我々には、たたきこまれる無数の弾丸をものともせず、トーチカ陣地から、或は単身小銃をもって反撃をする以外に何もなかったのである。たとえ一兵たりとも上陸を許さじ、全員その意気にもえて凄惨な死闘をくり返すだけだったのである。

タラワの戦い。壕の中から日本兵狙撃手を狙う海兵隊員 原写真:U.S. Navy / National Archives カラー化:文春オンライン編集部

 私がラバウル基地から一度内地へ還り、戦車隊を志望してタラワへ転勤したのは(昭和)18年の6月であった。

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 私達は第三特別根拠地隊と呼ばれ、陣地の構築と戦闘訓練が忙しい日課であった。一度米軍の戦爆連合の大空襲を24時間に亘ってうけ、多少の損害はあったが、戦意は益々高く、毎夜の様にある大型機の空襲も我々には何の支障をもきたさなかった。

 島のあちこちに、自然を利用した堅牢なる陣地が、夜を日に継いで築かれ、私達戦車隊も戦闘体勢に入って、来るべき日のために、充分に迎撃の準備はなっていたのである。

「米兵は戦友の死体をふみこえて…」「もう駄目だ…」

 それは11月21日の未明の事であった。遥かな水平線上に、おびただしい敵艦船が現れた。遂に来るべき日が来たのだ。やがて沖合の駆逐艦より一斉に打ち出された砲弾は雨の様に島に打ちこまれ、その一弾は我が弾薬庫に命中、大火災を起したのである。それが目標となって次々と打ちこまれる艦砲の殷々たる砲声は地に轟き、それに加えて、艦載機や爆撃機の空爆、島は黒煙につつまれてしまった。