私は戦車壕の中に待機して進撃の命を待っていたが、数時間に亘る艦砲と空爆により我軍全滅と過信したものか、やがて米軍の上陸用舟艇は、掩護射撃をうけつつ接岸して来た。すでに待機中の我軍は、それに砲火を集中して遂に沈黙を破ったのである。激しい銃火の前に、米兵は次々と倒れ、海中に没し、舟艇も座礁して、出ばなをくじいたかにみえたが、その銃火をものともせず陸続とつづく上陸部隊は浅瀬を渡り、戦友の死体をふみこえて、遂に、島の一端の桟橋にとりついたのである。

 私は戦車内にあって、砲身の焼ける程打ちまくったが、なお後を絶たない米兵の数はまさに脅威であった。単身小銃を持って敵に向った戦友も次々と倒れてゆく。殊に弾薬庫と食糧庫を粉砕された我軍はそのときすでに、物質的に米軍の敵ではなかったのである。しかし上陸を許したとは言え、果敢なる我軍は、乾パンと鰹節の乏しい食糧に耐え、島のあちこちに出没してよく米軍のきもをひやした。

 私も戦車を駆って敵陣地へ突撃したが、気づかぬうちに敵陣深く突入してしまい、引返したくもどうしたことか急にエンジンが動かなくなってしまった。忽ちまわりをかこんだ米兵の気配に、もう駄目だと観念したとき、夢中で踏んだ足にエンジンのひびきが伝わった時の嬉しさ、米兵の群る真中を突破してやっと陣地へかえったのだった。

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タラワの戦い。ベティオ飛行場で、米海兵隊員2人が破壊された日本軍機を調べている 原写真:U.S. Navy / National Archives カラー化:文春オンライン編集部
タラワ島の戦いの約4カ月後、1944年3月に撮影された写真。海岸に破壊された日本軍戦車1両と、米海兵隊の水陸両用車3両が残されている 原写真:U.S. Navy / National Archives カラー化:文春オンライン編集部

「火焔放射器で15人が焼き尽くされ…」

 其の後戦車も燃料不足のため動けなくなってしまい、ただ射撃をするだけの、いわば砲台になってしまった。

 そしていよいよ戦局不利となり、柴崎少将以下の司令部も、第一指揮所から第二指揮所へ移動することとなった。

 私達はその掩護射撃を命ぜられた。そして任務を終り、戦車から外へ出ようとした時だった。先に出た2人の戦友はあっという間もなく、艦砲にあとかたもなく吹きとばされてしまった。私一人無事だったのである。