最末期、名古屋港線が運んでいたのはJR東海のレールだ。週3日、それぞれ1往復だけ運転されていた。だが、それもトラック輸送に切り替わり、名古屋港線も役割を終えて歴史に幕を下ろしたというわけだ。
超貴重…たったひとつの遺構があった
ただし、名古屋港線が開業以来ずっとレールを運ぶだけのローカル線だったわけではない。明治の末に開業した当時の名古屋港線は、実に大きな期待を寄せられていたのだ。
1907年に名古屋港が国際貿易港として開港すると、それまでのように堀川などの水運に頼った輸送では捌ききれなくなり、名古屋港線が建設された。その後、名古屋港駅からさらに延伸。南端の岸壁に沿ってぐるりと回り、東の岸壁沿いを北上、堀川口という新たな終点が設けられる。
名古屋港~堀川口間は1980年代に廃止されており、痕跡はほとんど残っていない。港湾設備のあったエリアには名古屋港水族館などが建ち並んで名古屋市民の憩いの場になり、名古屋港駅は規模を縮小してその跡地が大きな観覧車がシンボルのシートレインランドに生まれ変わっている。
それでも、堀川口駅に近づけば倉庫が目立つザ・港湾エリア。1927年に完成したという跳上橋は、橋桁の一部を跳ね上げたままの状態で保存されている。これが、名古屋港~堀川口間では唯一の遺構といっていい。
開業当時から木材や石炭などを運び、戦後は化学製品の輸送でも活躍した名古屋港線。ただ、トラック輸送の時代になって少しずつ存在感が薄らいで距離も短縮。最後にはほんのわずかにレールを運ぶだけになって、そのまま地図から消えたのである。
そんな名古屋港線も、1937年にはほんの2カ月ちょっとの間、平和を願う国際博覧会の輸送を支えた歴史を持っていた。そしてそれから半世紀後の1987年にも、名古屋港線は臨時駅で脚光を浴びている。国鉄が民営化して発足したばかりのJR東海が開設した、ナゴヤ球場正門前駅だ。
新幹線の高架脇、尾頭橋駅のすぐ近く。この旅の最初に名古屋港線と出会ったその場所が、ナゴヤ球場正門前駅の跡地だ。1987年7月1日に開業し、1994年までナゴヤ球場での試合日に限って観客輸送を担った臨時駅である(あの伝説の10.8決戦が最後の営業日だった)。
名古屋港線という、港湾部を走った武骨な貨物路線。最末期は地味なローカル貨物線に過ぎなかった。だが、歴史を紐解けば戦前と戦後、それぞれまったく違うようで、根っこは共通しているような、“平和的”なイベントで力を発揮していた。もしかすると、名古屋の人々の平和を願う思いが宿った貨物線だったのかもしれない。
撮影=鼠入昌史






