友人との差を突きつけられても、小松の中に選択肢はなかった。

「私はF1をやるためにイギリスへ行ったのです。数学や物理が分からないからと落ち込んでいる暇はありません。じゃあどうするのか。そこでF1を諦めるのか、という話です。頭が良くないのだから仕方がない。人の5倍の時間がかかるなら、人の5倍勉強するしかないと覚悟を決めました」

苦手だった数学を克服

転機は大学2年を終えた後の実習だった。100社ほど応募して面接に呼ばれたのはわずか2社。そのうちの1社、ロータス・エンジニアリングでマシンのダイナミクスの部署に配属される。

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「クルマの動きを理解するためには、シミュレーションモデル、つまり数式モデルを作らなければなりません。そこで数学とクルマが結びついて、圧倒的に面白くなったんです」

1年生の頃はあれほど嫌いだったプログラミングが、好きな対象と結びついた瞬間に姿を変えた。意味の分からなかった「ラプラス変換」も、ある時ふと腑に落ちる。

「それまで嫌いだった数学が、自然を理解するための『言語』でしかないと気がついたのです」

数学は苦役ではなくなった。最終学年の卒業制作では、用意されたリストに興味の持てるテーマがなく、教授に直談判して独自のテーマを認めてもらう。クルマのモデルをゼロから自作し、実証データと突き合わせて検証まで行う、学部生としては異例の規模のプロジェクトだった。

「誰かが作ったものを流用するのではなく、自分でゼロから作るからこそ、すべての構造が理解できます」

答えが用意された穴埋め式ではなく、目的だけを与えられ、そこに至る道筋を自分でデザインする。その過程にこそ学びがあるという確信は、20代前半のこの実習で形づくられた。

“最下位チーム”を託された代表へ

大学院修了後の2003年、小松はB・A・Rホンダにビークルダイナミシストとして加わり、キャリアの第一歩を刻む。同時期、史上7人目の日本人F1ドライバー佐藤琢磨が在籍していた。佐藤はその後、インディ500を二度制覇。日本人としてもっとも成功したドライバーのひとりである。