西中金駅も、ホームはもちろん小さな駅舎が残っていた。目の前の飯田街道を拡張するにあたって曳家(ひきや ※建築物をそのままの状態で移動する)を行ったと、駅前の案内板に書かれている。それでも駅舎そのものは現役時代の姿をほとんど完全に留めているようだ。そして、三河広瀬駅ともどもちょっとしたカフェとして使われており、地元の人が観光客をもてなしているという。
が、訪れた日はあいにくの休業日。おかげで駅の中に入ることができなかった。駅舎の中は、現役時代からどれほど変わっているのだろうか。
“年間50万人の人気駅”…こうして22年前に消えた
西中金駅から足助までは、用地買収とごくわずかな工事だけが施されたものの、延伸を果たせずに終わった。その痕跡を辿ることはいまや難しい。駅前の飯田街道を辿って足助駅まで約10kmの道のりだ。香嵐渓の最寄り駅ということで、全盛期には西中金駅の乗降客は年間50万人を超えている。昭和40年代までは、まだまだ三河線の端もたくさんのお客で賑わっていたのだ。
しかし、マイカーが普及すると運命が暗転する。香嵐渓に赴くためには西中金駅でバスに乗り継がねばならない。とうぜん自分の運転で行く人が増えてくる。何しろすぐ近くには天下のトヨタ自動車があるのだからなおのこと、である。
そうしてどんどんお客が減っていき、1985年からは猿投~西中金間にレールバスが投入されている。それまでは電車が走っていたのに、バスに鉄道用の車輪を履かせたような乗り物になったのだ。
その後もお客は減り続け、1998年に名鉄が廃止の方針を打ち出すことになる。いっときは自治体の赤字補填で延命し、沿線住民による利用促進の取り組みも行われたが功を奏することはないまま、2004年に廃止された。入れ替わるように運行を開始した代替のコミュニティバスは、三河鉄道時代からの悲願だった乗り換えナシの足助直通を実現したのである。
次にまた訪れる機会があるならば、西中金で折り返すのではなくて足助まで足を伸ばすべきなのだろう。ちょっと遠いけれど、コミュニティバスが直通しているのだから。それに、お休みだった駅舎のカフェで五平餅でも食べてみたい。そして三河広瀬の駅前旅館にでも一泊。そんな余裕のある旅を、してみたくなる廃線跡であった。
撮影=鼠入昌史






